他人の幸せが許せない

例えば、

他人の幸せを喜べないということは

普通にあり得ることです。

 

なぜなら、人も誰しもに共感できるわけではなく、

 

身近な人間、ごくごく限られた人間関係の中において

やっと「幸せでいてくれて嬉しい」と思える相手が

いるくらいで、

誰しもかれしもに「絶対幸せでいてね!」という

感情を抱くというのはまずありえませんし、

そう感じるということはその人が聖人でもない限りは

何かしら問題を抱えている(誰しもの幸せを願っているフリを

しなくてはならない状況に陥っている)と表現するほうが

ベストでしょう。

 

他人の幸せは別にうれしくないというのは

問題ではありません。

むしろ、他人の幸せはうれしくないという

自分自身を認められないのが問題であるということです。

 

前述の「みんなに幸せでいてほしい」というのは

自分がそう思い込まないといけない、

「みんなの幸せを願わないような人間は

いてはならない」というような自分や他人を見下す

心理がそうさせるのですが、

自己愛性人格障害者も、「他人の幸せは喜べない」どころか

むしろ「絶対的に許せない」というような

強烈な怒りに見舞われることが大半です。

 

ですから、被害者は「幸せそうにしていては」なりません。

それは、一番のタブーともいえるでしょう。

それだけで自己愛性人格障害者の怒りを引き起こすのは

必至です。

そこには、自己愛性人格障害者がターゲットを自分の鏡として

見ていること、

また彼らが物事の全体を把握する性質ではなく相対的に、

一部分を見る性質であることが関連しています。

 

よく、夫婦関係の再構築などのアドバイスでは

「楽しそうにしているといい」

「夫(妻)が幸せそうにしていると、

それだけで配偶者を幸せにできている自分という

肯定感が相手に生まれる」

などといったような意見が散見されますが、

自己愛性人格障害者には禁忌といってもいいでしょう。

 

幸せそうにしていると良い、というのは

配偶者が相手の幸せを願っている時だけ、

不機嫌でいてほしくないというときだけですので、

そもそもが相手が幸せであっては困る、

相手の幸せが絶対に許せないという人が配偶者である場合だと

幸せそうに振舞うというのは相手を挑発する行為に

なりかねません。

 

 ところで、自己愛性人格障害者がなぜ

他人の幸せが許せないのか?という部分について

言及しなくてはなりませんが、

その箇所を理解するのに役立つのが

自己愛性人格障害者は、他人を通して自分を見ようとする

という部分、つまり投影の防衛機制を

使いこなす人達ということです。

 

自己愛性人格障害者というのは自分自身をスプリッティング

(分裂)させ、良い自分を自分が引き受け、悪い自分というものは

他人に押し込めようとします。

この悪い自分というのは劣等感にまみれた自分、

逃げたい自分、卑怯な自分、不幸でみじめな自分・・・ということです。

 

自己愛性人格障害者というのは、

これらの自分自身を引き受けたくはない、認めたくはない

心理が働くのでそれを身近な他人・・・多くは

配偶者や交際相手などのターゲットに引き受けさせようとします。

 

ターゲットに必要な要素とは、

この「投影」をいかにスムーズにできるかどうか、

させてくれるかどうか、といったところにあって、

自己愛性人格障害者にとって「他人の自我」というものは

邪魔でしかありません。

他人にはっきりとした自我があればあるほど、

投影がしにくいからです。

 

被害者というのは、

自分の意見にいつも賛同してくれるような、

自分色に染まってくれる人間、自分にとって臨機応変に対応してくれる

人間・・・つまり自我があまり確立していない人間のほうが

自己愛性人格障害者にとっては資質があるということに

なります。

 

自我がはっきりしていると、悪い、未熟な自分というものを

投影しにくいのです。

ところが、被害者という存在が幸せそうにしていると、

まるでその投影が邪魔されているかのような錯覚を受けます

(実際に邪魔されているのですが)。

惨めで不幸な自分を引き受けているはずの人間が、

幸せそうにしている。というのは、相手と同化を望む

自己愛性人格障害者にとっては「自分とお前は同じ存在ではない」

と、同化を拒否するような言動と同じようなものです。

 

ですから、自己愛性人格障害者は

被害者が幸せそうにしていると強烈な怒りを感じます。

(もちろん、自己愛性人格障害者と一緒にいるからこそ

幸せなのだ、という態度をとってしまえば彼らも納得しがちですが

そもそもその瞬間は納得したような態度をとっても

自己愛性人格障害者のストレスは実際には

溜まります)

 

 そして、自己愛性人格障害者は

「幸せそうにするな。イライラする」と言いたいところですが、

そういう風に認識してしまうとただただ自分が

「人の幸せをねたんでしまう悪者」に他なりません。

ですから、別の理由を探そうとします。

「こいつが幸せそうにしているのは、別の異性が

存在していて、そいつと関係を持っているからではないか」

とか、

「自分がこれだけ悲しい・ひどい目にあっているのを

差し置いて、自分だけ楽をしているから

そんなに無責任に、見せつけるように幸せそうにできるのだ。

責任感があって思慮深い人間というのは、そんなに

大っぴらに幸せアピールをするはずがない」

というような感情にとらわれます。

 

被害者が幸せそうにすればするほど、

そして自己愛性人格障害者がそれに対して

強烈な怒りを覚えるほど、

そういう感情にとらわれることになるでしょう。