敵か味方か、という考え方

自己愛性人格障害者は、非常に

極端な考え方を持っています。

 

自己愛性人格障害者にとって

相手は敵(自分の価値を危機的状況に

陥れる相手)か?

味方か?(自分の自己愛を満たすための

良い材料になる相手)しかありません。

 

逆に言えば自己愛性人格障害者にとって

他人にはそれだけの価値しかありません。

 

なので、自己愛性人格障害者はよく

敵味方、という表現を使います。

 

すなわち他人というのは

それぞれ一個として確立しておらず、

他人として尊重する価値もなく、

 

ただ自分にとって価値があるか?

ないか?どれだけの存在なのです。

 

もちろん、自己愛性人格障害者ではない人も

他人を利用することはあるでしょう。

それでも、良心の呵責が働くものです。

自己愛性人格障害者は良心の呵責などと

いったものはありません。

 

もちろんそれがあるかのような

態度を示すことはありますが、

自己愛性人格障害者にとって他人というのは

自分の役に立てるかどうか、

自分の思い通りに動くかどうか、

でしかありません。

 

自分の味方ではないなら敵だ。

という誤った二分法、

考え方というのはそういう側面を

持つことは構いませんが、

それ自体に考え方を支配されていると、

途端に相手に攻撃的になったり、

どうやったら相手が思い通りに

働くか?ということばかりに囚われてしまい、

 

自己愛性人格障害者の対人関係を

悪化させる要因となります。