責任転嫁の心理

責任転嫁というのは、

文字通り責任を転嫁する、責任を人に

なすりつけてしまうことです。

 

なすりつけてしまうという言葉を使うのは、

本来責任を負うべき人ではない人が

その責任を負う羽目になる、ということでもあります。

 

責任転嫁のわかりやすい例でいくと、

例えば女性が夫に隠れて不倫した場合。

相手の男性にはこう言います。

「うちの夫は家庭を顧みずに、自分のことばかり

考えて・・・」

自分はいかにも家庭の犠牲者である。だから、

浮気されても仕方のない男性なのである。

そして私は浮気をしても仕方がないほど可哀そうな

存在なのであり、被害者である。

そういう言い分です。

 

そしてこういう発言がみられるとき、

この女性は大抵の場合が「自分は本当に家庭の犠牲者だから、

癒しを求めるのは当然のことではないか」

と考えています。

つまり嘘をついているわけではなく本当のことだと

考えているのですが、

なんとなく自分ではこの理由が偽りであると

自覚しています(この女性が病的な心理でも

ない限りは)。

 

浮気、不倫という多大な責任を負うことは自分ひとりでは

到底無理なので、

責任を本当の被害者である夫に向けるというものですね。

 

こういう人というのは、すべてにおいて責任が持てないので、

結婚生活に対する責任も持てないからこそ

不倫という行為に走りやすく、不倫の責任も持てない故に

夫に責任を転嫁したり「相手に誘われたから、それに

あなたも私に構ってはくれないし」と不倫相手のせいにしたり

します。

 

こういう責任の重さゆえの責任転嫁というのは、

よくある例でもあります。

ところで、病的な責任転嫁というものもあります。

それは、なんでもかんでも他人のせいにするということです。

なんでもかんでも、というのは

通常、「それはありえないだろう」というような理由まで

こじつけて相手のせいにしてしまうという意味です。

 

たとえば、店に行って夫が注文ミスをされて

不快な想いをしたとしましょう。

そうすると、店員に対して怒るだけではなく、

「お前があの店に行こうとかいったからだ」

と妻の選択が間違っていたから自分が不愉快な想いをするハメになったのだと

言い出したり、

「自分はあの店には本当は行きたくなかった」

「あんな店の常連の気がしれない」

 

と、最終的に自分が行くと決めたから行ったのに、

それ自体はなかったことになっていたりします。

 

その個人が「あの店でもいいかな」と言っていたとしても、

「お前が行きたそうにしていたから配慮して

そう言っただけなのに、こんな仕打ちをうけるはめになった。

お前に合わせると碌なことがない!」

というような言動をすることもあります。

 

たとえば注文ミスに耐えられるか耐えられないかという

精神的負担に強いか弱いかという話は抜きにしても、

ちょっとした責任、たとえば自分が店を選択してしまったから

しょうがないか、次からあそこにはいかないでおこう、

というようなストレスの対処をするほどの力がない場合だと、

あれほど文句を言ったのに何度もまた同じ店に行き、

また同じような責任転嫁を繰り返すようなこともあり得る

話です。