話し合いは通用しない

自己愛性人格障害者と話し合いをしようと

何度も試みた被害者も多いことでしょう。

 

しかし、その試みは必ず失敗に

終わっているはずです。

それは、自己愛性人格障害者が、

「論理的に述べているようでいて、

論理的ではない」

からともいえます。

 

自己愛性人格障害者というのは

現実世界をそのまま捉えることが出来ません。

必ず事実を歪曲して、

自分が被害者側に立たなくてはなりません。

 

そうしないと、

「だってしょうがないじゃないか。

お前がそうやって普段から

こっちにストレスをかけているから、

こっちは正当防衛で攻撃するしか

ないんだから!」

という形にできないからです。

 

ですが、

実際の被害者はターゲットになっている側というのは

明白なわけですから、

自己愛性人格障害者は必ずそこに

事実の歪曲や矛盾を

持ち込まないといけません。

 

その過程で、

論理は破綻させてしまいます。

 

自己愛性人格障害者とターゲットが話し合いをするとき、

必ず話し合いにはなりません。

自己愛性人格障害者が、話し合いを拒むからです。

 

「話し合いなんかしないよ」と拒むわけではありません。

「話し合いだと、のぞむところだ」といいながら

「話し合いなんかしてやるか」と論点をずらしていくのです。

 

自己愛性人格障害者と話し合いをすると、

本当にお話になりません。

他人の話を聞かず、

他人の心を汲もうとはしないからです。

 

他人の辛いという気持ちをまるで

そんな事実はないかのように応え、

他人の別れたい、離れたいという気持ちさえ

無視して「なぜ、我々は接近するべきか」

ということだけを主張し続けます。

 

多くの自己愛性人格障害者というのは

離れたい、という気持ちがないから、

特にそういうパターンに嵌っていくでしょう。

 

現実の、今の話をしようとしているのに、

急にありもしない未来の話をしたり過去の話をしたりして

錯乱させます。

 

自己愛性人格障害者というのは、

事実を曲げないと被害者のふりが出来ませんから、

現在の現実の話をするのが大の苦手なのです。