恩着せがましさ

自己愛性人格障害者の恩着せがましさというのは、

普通の人の恩着せがましい様子とは

少し異なります。

 

自己愛性人格障害者が誰かに何かをするとき、

あるいは善意のふりをして何かを

施そうとするとき、

 

自己愛性人格障害者はその物事が

重要であろうとなかろうと、

「無償で」

「それが倫理的だから」

「愛があるから」

それをしていると述べます。

 

それはまるで恩なんて感じなくてもいい、

というかのようですが、

それはただの「スタンス」として

見せているだけです。

 

実際は、恩を感じているとか

そういうことを重要視しているわけではありません。

 

「ここまで無償の愛を提供しているのだから、

お前はお前の役目を果たすのが当たり前」

と言っているのです。

 

ですから、

自己愛性人格障害者がひとたび

「こうしてね」と言った場合、

それは施された相手が断る権利はありません。

 

「なんだ、この前こうしてやったのに、

恩を感じていないのか」

「いや、恩は感じています、とても感謝しています」

というようなやりとりは自己愛性人格障害者にとって

とても腹立たしいものです。

自己愛性人格障害者は、「恩を感じてほしくて」

やっているわけではありません。

恩を感じることなんて当たり前なのです。

恩を感じているのだったら、

自分の言うとおりにしろよ、ということが

言いたいわけです。

 

ということで自己愛性人格障害者に

「何かを施された場合」、

それは見返りに自分の思い通りになれよ、

恩を感じているとか感謝しているとか

いう言葉だけでは無意味だぞ、

というような意思表示になります。

 

 

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