節操がない

節操というのは、

信念を守ること、節義を保つこと、

という意味を持ちますが、

 

自己愛性人格障害者は最初から

信念自体がありません。

自我が確立されていませんから、

自分なりの考えというものがないのですね。

ただ、「これは独自の考えだ」

「これが一番正しい主張である」

「自分ほど独創性のある答えを

導きだせる人間は

いないだろう」

という気持ち自体は非常に強いので、

 

自分の意見は堂々と言います。

それが本来は人の意見だったり

二番煎じだったとしても、

平気でその主張は曲げません。

 

しかし、自分の不利益になると思ったら

簡単にその意志を曲げますし、

その意見自体が自分にとって

不都合を生むようになったら

そもそもそんな発言などしていないし

そんな考えなど持ったこともない、

というような言い方に転じることもあります。

 

自己愛性人格障害者の節操のなさは

こういうところから来ていますが、

一貫している部分が一つだけあります。

 

それは「自分が得をするか損をするか」

「無駄な労力がかかるかかからないか」

「自分の名誉を高められるかそうでないか」

というところだけに集中して意見を

述べるため、

 

意見は目まぐるしく変わっていきますし

発言をなかった事にすることも

日常茶飯事ですが、

 

どんな意見に変わっていっても

そこだけは一貫しています。

 

ポリシーも何もないのに、

「自分は余計な荷物は背負わないぞ」

「自分が背負う義務はどこにもないぞ」

という部分だけは力説します。

 

節操がないというと大体は

周りの意見に流されやすいということが

挙げられますが、

周りの意見に流されるというよりは

その意見が自分の利益になるようだったら

何度でも取り入れますし、

 

自分の名誉を高める上で阻害に

なるようだったら

徹底的にその意見を潰しにかかってきます。