努力は搾取される

自己愛性人格障害者との奇異な関係性に

思い悩んでいるときに必ず当たる問題が、

「自分の愛が足りないのだろうか」

という疑念です。

 

つまり、自己愛性人格障害者の言っている

「お前の愛情が足りないからだ」という言葉が真実で、

自分がもっと愛情表現をしたほうがいいのでは

ないか?尽くすだけではなく、

相手が何を求めているのかを熟慮して、

行動に起こしたほうがこの関係性が

改善されるのではないか?

ということです。

 

特にモラハラに遭遇した初期~中期は、

その考えに支配される可能性が

高いでしょう。

被害者とは、自己愛性人格障害者のために

試行錯誤するものです。

それ自体がすでにモラハラの支配下に置かれた者の行動だと、最初は理解できないのです。

 

「夫婦関係やこじれた関係を元に戻そうと努力するのは愛を示すために当然では?」

という心理をつくのがモラハラです。

そして、どんなに努力をしても

いつまで経っても「元」に戻るような気配はありませんし、むしろ関係性が悪化しているのではないかと思うほど、

モラハラはエスカレートしていきます。

 

それでも、被害者が離れようとすると

自己愛性人格障害者はすがるようにして

被害者を引き留めようとします。

お前みたいな愛のない人間は

愛せないといいながら、

いざというときはお前がいないと

生きていけない、と言うのです。

 

自分の愛を示す方法が間違っているのか?と

第三者に相談すれば、

別れろという言葉か

「そんなことはどこの家庭でもある」

「もっとしっかり話し合ったら?」

「もっと相手を立てたほうがいいのでは?」

という方法論でもないような事しか

アドバイスとして受けられません。

 

つまり、もっと努力しなさいという

意見です。

 

それは、世間の常識に当てはめれば

そうかもしれませんが、

モラハラというのは常識から大きくはずれた

事案です。

相手は話せば分かるはず、

努力すればするほど、改善されるはず、

というのはモラハラには

逆効果です。