「自分だけが辛い」という主張

自己愛性人格障害者は、

「自分だけが辛い」

という表現をよく使います。

 

これは自己愛性人格障害者が

いわゆる新型(非定型)うつ病にかかった場合も

同じで、

「他のうつを患っているやつらは

ただの怠けだが、

自分は本当に辛くてやる気がでないのだ」

と、

自分の辛さを訴えるだけでなく、

「他のやつらは辛くはない」と言う事が

非常に多いのです。

 

これは、自己愛性人格障害者が

「誰かと比較しないと」

「何かと比較しないと」

自分は正義でいられない、自分は優秀でいられない、

被害者でいられない、

ということを明確に指しています。

 

そしてさらに、

自己愛性人格障害者が、他人の心を

理解できない、

理解しようにも他人にも個別の心があるということが

まったく分かっていない一つの指標になります。

 

自己愛性人格障害者は、

他人の「辛い」という気持ちを聞いたとき、

その辛さに対して共感できませんし

他人の辛いという感情がどういうものかも

分かりません。

 

ですから他人の辛いという相談を受けたとしても、

自分の話に摩り替えたり、

相手の話から急に切り替わったように

「自分はこれだけ辛い」

という話を急にし始めることがあります。

 

自己愛性人格障害者は、

「他人も辛いと思うことが、

当然としてある」

というのがよく理解できないのです。

 

それはもちろん、

自分が投影している相手なら

なおさらですから、

芸能人の苦労話ならばぼんやり

形だけは想像つくかもしれませんが、

 

距離が近ければ近いほど、

たとえばパートナーが辛いという

話をしようとも

自己愛性人格障害者はその心が

まったく理解できません。

 

他人の心が理解できないから、というより

そもそも投影している自分の姿に

かき消されて見えないからです。

 

ですから自己愛性人格障害者は、

「お前が辛いはずがない」

と断定することさえあります。

 

他人の心なんて誰にも分からないのに、

泣いている相手に対して

「泣きたいのはこっちだ。

お前が辛いなんて事実があるはずがない」

と確信しているかのように言うのです。

 

被害者はまったく理解してもらえないことに

ショックと、それと同時になぜそこまで

確信しているのか疑念を抱きますが、

 

それは自己愛性人格障害者から

見た世界を、見たまま感じたままを

しゃべっているだけであって、

 

そもそも他人の心というのは

自己愛性人格障害者の世界に存在していませんから、

彼らが他人の心を想像できずに

自分の心だけを見て

「自分だけが辛いのだ」

と感じるというのは自然なことともいえます。