自己愛性人格障害者の正体は誰にも分からない

自己愛性人格障害者というのは、

自己愛に拘るというもの自体が

本人の意思は完全に無視して

パーソナリティに置き換わってしまいます。

 

つまり、自己愛性人格障害者が

本来どういう性格であったかというのは、

自己愛性人格障害を患ってしまうと

その人格障害が前面に出てしまって

誰にも分からなくなります。

 

自己愛性人格障害者自身、

劣等感にまみれた自分自身を何重にも

奥に閉じ込めてしまいますから、

自分が本当は何が好きで

どういう人物なのか、

ということはもはや知る術がありません。

 

そんな自分よりも、

人望が厚く、名声も高く、

この世の核を熟知し、誰に対しても

本当の慈しみを持って

接することの出来る自分というもので

上塗りしてしまえば、

劣等感のある自分などといったものを

わざわざ振り返る必要はどこにもないのです。

 

しかしそういう自分を少しでも暴こうとする者や

事象には敏感になっておかなくてはなりませんから、

少しでもそういう動きを見せようものなら

それを正当な理由として

真っ先に攻撃してやらなくてはいけません。

 

そして、すばらしい自分に酔って

生きていくことが最善の道ですから、

そのときそのときに精一杯自分に責任が降りかからない形で

立派な答えを導きだして、

あるときはAが正しい、あるときはBが正しい、

いやあの時はこう言ったが実はCが正しいと

思っていた・・・

と一貫性も信念もへったくれもないような

考えしか主張できません。

 

それは、自己愛性人格障害者が

自分をまったく持っていない、

自我が育っていないことの何よりの証拠で、

自分の考えとか信念とか、

そういうものが何もないからこそ

一貫性のない主張が堂々と出来、

そのことに恥も何も感じないのです。