自己愛性人格障害者と金

自己愛性人格障害者のお金に対する考え方や

向き合い方というのは

いくつか特徴があります。

 

基本的に経済的DVという言葉も定着しつつあるくらいですから、

金というのは自己愛性人格障害者の

大きな「手段」になりえるわけですね。

経済的DVというのはお金のある自己愛性人格障害者が

お金のない被害者に生活費を渡さない、と決まっている

わけではありません。

お金のない自己愛性人格障害者が、お金がないことを

理由に、「こんなにお金に困っているのに

そんな自分から金を巻き上げようとするのか」と

生活費をいつまでも支払わない、かといって

別居するのは許さない・・・なども経済的DVに

当てはまります。

 

自己愛性人格障害者というのは

自分が「金を持っている人間」あるいは

「金は持っていないが本来稼げる人間」として、

金=自分のステータス、自分の価値を

実際に換算できるものとして捉えています。

 

金持ちこそが正義だ!と冗談で言う人はいるかもしれませんし

お金を持って気が大きくなる人もいるかもしれませんね。

 

しかし自己愛性人格障害者の場合は、

「金持ちこそ有能であり正義であり、

偉大であり間違いない。それ以外は無価値」

と本気で思っています。冗談ではなく真剣に、です。

 

しかもどれだけ散在しても

自分は散在するほどのお金を持っているのだ、

と優越感に浸れますし、

どれだけ生活費をケチったとしても

「節制」という一言で済みます。

 

お前は金遣いが荒いから、

自分が管理しないと・・・と管理できるはずもないのに

管理しようとする自己愛性人格障害者もいます。

これは自己愛性人格障害者が稼いできている

場合ではなく、

被害者が稼いだお金を巻き上げるような形をとることも

多くあります。

 

「自分のほうが金銭管理能力が高い」と周りに

嘯くこともありますね。

 

自分のほうが管理ができる、というのは

被害者に対して自由に使えるお金を奪いたい、

すなわち自由そのものを奪いたいという

気持ちの表れでもあります。

 

自己愛性人格障害者の本心は、

「自分以外のものには一円も支払いたくない」

というのが本音です。

しかしそれでは格好がつかないので、

仕方なく生活費を出してやっている、その代わり

自分の言うことをちゃんと聞けよ、

というのが現状でしょう。

 

すべてにおいて有能であるということを

金で示したいのもまた自己愛性人格障害者の

特徴ですから、

 

「節制が得意」という金銭管理能力の高さを

ひけらかす場合と、

その割には驚くほど使い方が荒いのもまた事実で、

その使い方の荒さは

「自分ほどの人間になれば

金にも困らない」というのを他人にも示したいからこその

行動であるともいえます。