好意も怨恨も一緒

自己愛性人格障害者は

ストーカー化することが

よくあります。

 

ただストーカーした原因にて

好意が何割、怨恨が何割…。

というデータを出すことがありますが、

 

全く意味はありません。

 

なぜなら、

それらは明確に分かれているわけでもなく、

「自分は好きだから、愛しているから

つきまといではなく、正当な理由があるのだ」

「あいつが自分にした仕打ちを

分からせ反省させるためだ、

だから正当なのだ」

 

と、どちらも自分を正当化するために

そういう理由をぶら下げているに

過ぎません。

 

つまり、彼らは

「好意(怨恨)でつきまとっています」

というよりは

「つきまといをしたいがために、

それを正当化するために

好意があるという思い込みをしています

(あるいは恨むだけの仕打ちをされたと

いう思い込みをしています)」

というだけです。

 

それに、

ただの段階の問題なのです。

好意を持って近づくストーカーというのは

結局最終的には

怨恨にうつります。

 

自分が拒絶されるのを

理解できないから、

いつまでも相手が冷たくて人の心も

分からないような人間だから

自分のアプローチを無視したり

ストーカー扱いするのだ、

とそういう考えが沸き上がり

疑念を抱くこともせず確信します。

 

ですから好意でストーカーしている

(と思い込んでいる)段階から、

結局恨み辛みがあって

言いたいことがあるからつきまとっている

(と思い込む)段階に移行するだけなのです。