他人を見下す

自己愛性人格障害者は人を見下します。

自分が優位に立っていると

考えているのですから当然ですね。

 

そして人を見下すとき、

その人の特徴や考え方をあげつらって

馬鹿にしますので、

自己愛性人格障害者の被害者は

てっきり本当に馬鹿にされたのだと

思います。

ところが自己愛性人格障害者は、

大体似たような言動のパターンがあります。

 

被害者の身体的特性が目に付いて

嫌味を言ったわけでも、

コンプレックスを見抜いて

悪口を言ったわけでもありません。

自己愛性人格障害者にとって、

人の欠点をすぐに暴いて

それを馬鹿にすることなど

朝飯前なのです。

そもそも欠点の無い人なんていません。

というより自己愛性人格障害者は

欠点をうまいこと作り出せるのです。

 

「温和な性格」も「優柔不断ではっきりしない、

八方美人」といえますし、

「エリート」でも「勉強しかできなくて

人格的に問題のあるエリートを鼻にかけた

人間」と表現したりします。

 

その人の欠点を挙げるならすべての項目で

欠点として書き換えられますし、

とにかくいろんな表現を駆使して

批判することが出来ます。

 

人を見下す天才といってもいいでしょう。

とにかく多様な言葉を使いますが、

人を見下すパターンは一緒です。

ですから被害者自身が傷つきすぎないように

することが大事です。

といっても自己愛性人格障害者があまりに

言葉巧みなので、傷つくのも

仕方は無いのですが。

 

しかし自己愛性人格障害者は

人を見下さずにはいられない障害であるのと、

他人に対して正しい評価は出来ない

人間であるので、

被害者が特別欠点が多いとか

人格的に問題があるから

そういうことを言われるわけではないと

いうことは知っておいたほうがいいと

思います。

人間、誰でも「人の目ばかり気にする八方美人、

優しいわけじゃなくて

誰にでも冷たいってことなんだけどね」

なんて言われれば当てはまりますし、

誰にでも当てはまるようなことを

ただ「自分はお前の欠点を良く知って

いるんだぞ!」といわんばかりに

声を上げているだけなのですから。

 

そうやって見下すことにより、

自分を相対的に上に持ち上げようとする

心理状態に置かされているだけなので、

自己愛性人格障害者が人を見下す発言をするのは

自己愛性人格障害が万が一にでも

改善しないことには

どうしようもないのです。

自分は絶対的な存在であると位置づけたいのですが

自分個人で上に行くということは出来ませんし、

自分がぼやけた存在である以上

比較対象がないと自分がどこにいるのかすらも

よくわかりませんから、

他人を強烈に見下し貶めることで、

その分自分が優位に立てると

思い込んでしまっています。

 

自分の価値が上げられないのであれば

他人の価値をとにかく下げれば

相対的にその分自分が上に上がれるということを

本気で思っている人たちですから、

そうなる(見下される)ことは

しょうがないともいえます。