自己愛性人格障害者にプライバシーは通用しない

プライバシー、という言葉があります。

 

他人の干渉を許さない、私生活や私事ですね。

なぜそんな言葉があるかというと、

誰しも他人から侵害されることは許されない

自分なりの領域や秘密があるからです。

 

誰しも私生活をあけっぴろげにしなくては

ならないわけではありません。

何をしようと個人の自由だからです。

 

そしてその自由を尊重されるべきですし、

それらはプライバシーという言葉に

置き換えられます。

 

ところが自己愛性人格障害者はもちろん、

他人のプライバシーなどといったものを

尊重はしません。

 

それは自己愛性人格障害者自身が

自分と相手の境界線が非常に曖昧で、

自分を尊重しているわけでもないので

他人を尊重するはずもないのですね。

 

それに自己愛性人格障害者は

被害者の私生活はすべて自分に

見えるべきものだと思っていますから、

被害者が「プライバシーの侵害だ」

なんて言ったりすると、

「なにかやましいことがあるからだろう」

「人に言えないことをしているのか」

という責め方をします。

 

自己愛性人格障害者は、

被害者の私生活が開示されていないと気がすみません。

逆にいえば、開示されていると思っていれば

そこまで不満に思うこともないのです。

 

しかし自己愛性人格障害者が

相手の個人情報やプライバシーなどない、

自分が知るべきだと考えているとき、

簡単につきまといをしたり相手宛の

郵送物を勝手に開けたりします。

 

これらは嫌がらせとして行っているというよりも、

知らないとイライラしてしまったり

切迫感に襲われたりするために、

相手のプライバシーに関わることだからと

抑制する気持ちがないのです。

 

自己愛性人格障害者が嫌がらせのために

プライバシーを開示させようとするときは、

被害者が嫌がっているとき(たとえば

まだ帰ってこないのかと催促の電話を何回も

されるのを嫌がるとき)、

被害者がやましいことをしているのだと決めつけて

余計に電話をし続けることもあるでしょう。

 

どちらにしろ自己愛性人格障害者に

プライバシーという言葉は通用しません。

 

相手と自分の間には境界線がある、

という認識がある人間だけが

その境界線の向こう側に踏み込んではならない、

そこは自分が踏み込んでいい領域ではない、

ということが理解できるのですから、

 

その境界線が曖昧である自己愛性人格障害者に

「境界線からこちら側にくるな」

と言っても自己愛性人格障害者にとっては

何の意味やら分からないのがオチです。

 

ただ被害者が、自分を悪者にしようと

いちゃもんをつけてきている、くらいにしか

思わないでしょう。