自己愛性人格障害者の暴言

いままで、自己愛性人格障害者の暴力に関しては、

被害者に対する「コントロールしたい欲」

が高まり、

暴力が手っ取り早いから暴力を振るうと

お伝えしてきました。

 

今度は暴言についてです。

自己愛性人格障害者の暴言というのは

かなりバリエーション豊富だと思いますが

(語彙力が高いことがありますね)、

共通点がいくつかあり、

「お前はおかしいぞ」

「自分はその責任を負う必要はないが

お前にはあるぞ」

「なぜならお前はこういう恥、

無知、悪な人間だからだぞ」

「そんなことも分からないようなら

お前は人間として恥、無知、悪だぞ」

・・・という様式のことが多いです。

暴言というのは幼稚かと

思う人も多いとは思うのですが、

自己愛性人格障害者が何か事を

思い通りにしたいという欲求が高まった

場合、

 

大体はターゲットを操作したいと

思うようになるので

(ターゲットを動かしても問題が

どうしようもないときも

ターゲットを動かそうとしますが)、

暴言と暴力というのは

自己愛性人格障害者がよく利用するものです。

基本的に、

大きな責任や小さなストレスが積み重なって

いったときに、

この二つでしか

問題を処理することが

できません。

 

自己愛性人格障害者は、

高いレベルでのストレス処理が

できません。

人間的な成熟がなされないまま

大人になってしまったからです。

これは、一生続きます。

ですから、暴力や暴言も一生

続くことになります。

しかし暴力に走る前に、

暴言を吐くことが多いです。

ただ、発している本人は暴言だとは

思っていません。

なぜなら自己愛性人格障害者にとって、

暴言は暴言ではなくただのストレス処理の

過程で起こる考えの変遷を

他人にぶつけているだけであり、

そこまで酷いことを言っている

自覚というものがありません。

 

内容的には酷い単語を並べていることを

自覚しているのですが、

「人として、そんなことを言えば

言っている自分も傷がつく」

ということがないので、

どれだけ相手が傷ついているのかということも

理解できないのです。

自分はただ自分を納得させるためだけに

相手に暴言を吐きます。

「自分はいつも重責を背負っているのに

お前はのんきに働くだけでいいね」

「今起こっている問題まで

なんで自分が背負わないといけないのかが

分からない」

「自分たちは夫婦だよね。

夫婦だったらパートナーが苦しんで

いるのを助けるのが当たり前なんじゃないの」

「お前は苦しむことなんてないよね。

だからこっちの苦しみなんか分からないよね」

そういう言葉を並べるでしょう。

 

自己愛性人格障害者は

普段のターゲットの苦しみや悩みとか

言われているときの傷とかを

理解することはできませんから

(理解するフリをすることは

いくらでもできますが)、

「だから、お前は今起こっているストレスを

処理する義務があるけど、こっちにはないよ」

「自分の責任じゃないよ。お前の責任だよ」

ということを自分自身に

納得させたいだけです。

 

そのためには、

相手(ターゲット)が

いつもどれくらい無責任か?

それに比べて自分はどれくらいの

重責を担っているか?

ターゲットはどれだけ配慮がない人間か?

自分はどれくらい相手を推し量って

気遣って生きているのか?

ターゲットはどれくらい無知で恥知らずか?

自分はどれくらい勉強家で常識を持っているのか?

ということをひたすらターゲットや

自分に言い聞かせないといけないために、

暴言というよりも内容がどんどん酷く、過激になり

暴言という言葉では済まされない

内容になってしまっていることも

しばしばあります。