空気が読めない

空気が読めないのも

自己愛性人格障害者の特徴です。

 

しかし、自己愛性人格障害者はなぜか

社会的には受け入れられている場合も多く、

仕事の能力も高いことがあります。

人の話は聞いているように感じる自己愛性人格障害者も

います。

 

しかし、自己愛性人格障害者は本当は

人の話になど興味も持ちませんし、

人がなぜそのような話をしたか、

どのような感情でそれを言っているのかという

共感は出来ません。

それなのになぜ、人の話をちゃんと聞いて

いるように感じたり、空気を読んだりしているように

感じる自己愛性人格障害者がいるのでしょうか。

 

それは、自己愛性人格障害者が、

「その場でどのように答えれば、

すばらしい自分でいられるか」

「どのような答えが常識的であるか」

ということを常に考えているからです。

 

もっと極端に言うと、

相手の言葉というのは、

そのための材料でしかありません。

相手がどういう気持ちで、どういう意図を持って

こちらに話しかけているかなど

関係ないのです。

 

「すばらしい自分でいるために」

「常に相手よりも優位に立てるために」

「常識的な自分でいるために」

そのためだけに相手との会話が必要である、

というだけです。

 

ですから、

空気が読めない自己愛性人格障害者でも、

すばらしい自分であるためには

その場に応じたすばらしい回答をすることも

ありますし、

常識的な回答をすることもあります。

 

そして、それは自分の一貫した答えであるように

みせることも得意です。

 

しかしそれは「その場に応じた」答えであるだけ

ですから、

その後の回答はまたまったく違った答えを

出すこともあります。

 

つまり自己愛性人格障害者は空気は読めませんが、

空気を読まずとも、

その場で常識としての答えは何か?

という建前で応えるのは非常に得意なわけですから、

常識があって空気が読めているように

感じるだけということになります。