「道徳心」を育てることの弊害

親は自分のこどもにこういうかもしれません。

 

「あのね、道徳心ってとても大事なんだよ。

人を傷つけないようにすることは

人間として最低限の基本だからね。

あなたはそういう人間になったら

だめだよ。分かった?」

 

道徳心、というのは、

他人を傷つけず強調する心を養う一つの

柱となるものかもしれません。

 

自己愛性人格障害者の被害に遭った人間なら、

自分のこどもに特にそう教え込むかもしれませんね。

 

けれども、

自己愛性人格障害者というのは

道徳心がないから

モラルハラスメントを行うわけではありません。

 

どういう心が育っていようと、

それよりも自我を失い

その失った自我をなんとかして

最終段階まで崩壊してしまわないように

保つ機能・・・それが

防衛機制でありその結果

モラルハラスメントが起きます。

 

道徳心をそれまで育てていようと、

その道徳心を発揮するほどの力がもうないわけです。

 

そして道徳心を育てすぎる、

何が何でも他人の邪魔をしてはいけない、

輪を乱してはいけない、

このときはああするべき、こうするのが正解・・・

という答えを準備しすぎると、

 

その道徳心そのものが、

モラルハラスメントの格好のターゲットとなります。

 

被害者の倫理観、道徳観というものは、

もし自己愛性人格障害者のターゲットに

なってしまったら、

いずれその道徳心。倫理観自体が

被害者自身を苦しめ傷つける羽目になります。

 

本当は自分はこうしたかった、

という気持ちを完全に無視し

道徳を優先する人生を歩めば歩むほど

そうなるでしょう。

 

 

細かくいえば・・・

自己愛性人格障害者が被害者を傷つけるわけではないのです。

自己愛性人格障害者というものは

モラルハラスメントを生きる手段として

用い、

 

その結果被害者が自分が持っているモラルが

強ければ強いほど傷が疼き、

「この人の言うとおり、私はあのとき

こうするべきだったのだ」

という想いが強くなればなるほど

自責の念にかられ、

自分の無力さがどんどん強くなっていき

被害者はその繰り返しによって

どんどん弱っていきます。

 

自己愛性人格障害者はモラルを武器にし

それがどういう理由で正しいのか

こじつけられる意味づけなど

たくさん出来ますから、

 

ああ確かにそうだ、

こういうときはこうするべきだ、

なんて妙に納得してしまう理由も

そこにあります。

 

そして、その考えにいたらなかった

自分はだめだな・・・・

と思うのです。

 

その無力感の積み重ねによって

自分は何もないような、

価値もないような人間に感じてくるのです。

 

道徳心、というのは

聞こえはいいですが、

被害者の道徳心自体が

モラルハラスメントの迷宮にはまってしまう

大きな要因になるのも事実です。