他人の幸せが許せない

他人の幸せが許せないというのも

自己愛性人格障害者の特徴です。

 

ただいつも

自己愛性人格障害者というのは

他人の気持ちを認識できない、

他人と自分の区別がつかないと言っているので、

他人が幸せかどうかも分からないのでは?

という声も聞こえてきそうですが、

 

自己愛性人格障害者というのは

他人が「幸せ」だろうとなんだろうと、

とにかく「あなたと私は別存在です」

「まったく別の考えを持っているんです、

同じ存在ではないんです」

という意思表明をされているような気がして

途端に恐ろしくなったり、それを

隠すために強烈な怒りを覚えたりします。

 

自己愛性人格障害者自身が生活の中で

「幸せだ」と実感することはないので、

他人が幸せだということを

表明している時点で(まるで

幸せそうな態度をとっている時点で)

自分への挑戦、自分を馬鹿にしていると

感じやすくなっています。

 

被害者にそんな気がなくても、

あえて被害者が自己愛性人格障害者に対して

「自分は幸せを感じられる人間だから

お前とは違うぞ」

と言っているように感じるのです。

 

感じるというよりも

むしろそれが事実であるというような

言い方をすることもあるでしょう。

 

被害者は急に言いがかりをつけられたような

気がして憤慨しますが、

自己愛性人格障害者は確かに

実際に自分に対して挑戦状をたたきつけているかの

ように感じ取っているのです。

 

 

 

他人が幸せそうだと、

まるでその他人は馬鹿であるかのようにも

感じます。

そしてそれが自分のパートナーだったりすると、

「なんて危機意識がないんだ」

「こんなにこの世の中は

醜い物事と人間であふれているのに。

ここでそろそろお灸をすえてやらないと」

と考え始めます。

 

本当は自分と他人は違う存在だと

突きつけられることを恐れているからこそ、

相手を攻撃してなんとかコントロールして

やりたくなるのですが、

 

そんなことをすれば

相手のことをねたんでいることになるため、

それだけは避けます。

 

だから、それらしい理由を探すのです。

被害者が、幸せそうにしているのが

いかに愚かで、みっともなくて、

罪深いかを。

 

あるときはこういうかもしれません。

「自分だけ楽しんで、相手のこと

何も考えてないの?本当にみっともないよ。

やるべきことを何もやっていないくせに」

「あなたが浮かれているとき、

実は家ではこんなことが起こっていたんだよ。

知らなかったでしょ。

そんなことも知らないで、あなたが楽しそうに

しているから、ちょっとこっちは怒ってるよ」

「そもそも、浮かれているのって

すごく馬鹿らしいと思うんだよね。

どうしてもっと目の前の苦しんでいる人たちを

理解しようと思わないのかな」

 

そうやって、幸せを感じること自体が

「罪」であり「馬鹿馬鹿しい」なのだということを

被害者に分からせようとします。