毒親と絶縁しても、罪悪感を持つ

基本的に、

罪悪感を持つ人というのは

何に対しても・・・ひどい場合は犯罪の被害者に

なった場合でも、

「自分の問題なのだ。自分のせいなのだ」

と思い込みやすいです。

 

すべてを自分の責任だと思い込みやすい特性があるからこそ

なのですが、

その特性も、誰か親のような立場の人、近しい立場の人間から

責任や役割を負わされてきた名残ともいえます。

 

親の機嫌を損なわない、あるいは親の精神的・

身体的な世話をする役割、というのは

特にそういう特性の人が育つ可能性が高いでしょう。

 

なぜならそういう親というのは、

「親の面倒は、子供がみるべき」

「親が不機嫌なのは、子供が言うことを聞かなくて

わざと逆らうから」

「親が辛いときは、子供が支えるべき」

というような「親が精神的自立できていない部分であるだけの

話を、さも子供の責任であるかのようにすり替える」

ことが得意だからです。

 

子供は従順であるので、

その親のいいつけを当たり前のようにして

生きていきます。

 

親という存在は子供にとっていつまでも

支配者であり監護者であり続けるかぎり、

子供は一人暮らしをしようが社会人になろうが

いつまでも精神的な自立・自律ができなくなります。

 

自分の人生観が社会とズレがあるとわかったとき、

そして自分の親がいわゆる毒親であると

気づき、距離を置こうとしたとき、

それでも子供は罪悪感を抱くのが当然です。

なぜなら、人(親)を見捨てるのは子供ではない、

距離を置こうなとという親不孝は許されないという

ことを親が散々幼少期に子供に教えつけているからです。

 

毒親はどういう時期に来ても

いつまでも精神的自立を果たせていないままの

ことのほうが圧倒的に多いですから、

毒親と絶縁しようとすると

毒親はまた必死に罪悪感を植え付けようとするでしょう。

 

実際には毒親が自立できていないからこそ

距離がおけないだけの話なのですが、

それをいつまでも子供のせいにしてしまい

子供が離れることにさえ罪悪感を持つ、

強烈な不安に襲われるというのは

いわば宿命のようなもの、当然のことです。