モラハラは、なぜ支配的になるのか

モラハラというのは、

自己愛性人格障害者が支配者側、

そして被害者が支配を受ける側という形で

進んでいきます。

これは絶対的なルールともいえるものです。

 

そしてもっと極端にいうならば、

支配したい側と、されたい側ともいえます。

 

ターゲットからすると、「自分は支配されたいだなんて

思っていない」という答えが返ってくると思います。

そして自己愛性人格障害者側も、

「人を支配者だとか、人聞きの悪い」と言うでしょう。

 

どちらも、「その自覚がない」というのも

モラハラの特徴なのです。

 

自己愛性人格障害者側の都合から言うと、

まず自分が人を支配しようとしている、つまり

相手を奴隷か何かだと思って扱おうとしている、

ということはあまりに非人道的であるということで

自分がそういう人間だとは認識できません。

自分はそんなひどい人間ではない、むしろそういう人間から

搾取される側なのだから、という考えでいます。

 

そして、自己愛性人格障害者が指す「そういう人間」とは

もちろん、投影された自分を映し出している

「ターゲット」ですね。

 

つまり自己愛性人格障害者は自分が支配している側なのに、

自分がまるで支配を受けているかのような、

思い通りに動かしてもらえない束縛感を感じているような

被害的思考に至ります。

ターゲットこそが、自分を悪者にし、支配下に置こうとし、

自分自身のすべてを搾取しようとしてくる悪者なのです。

 

ターゲット側からすると、そういう思考で

いろいろと攻撃してくる自己愛性人格障害者に

言葉通り「支配」をされているのですが、

そもそも支配が嫌ならばとっくに逃げ出しています。

 

ところが、「この支配されているような人生は嫌」と

言いながら、逃げ出すことに対して不安を強く抱く

ターゲットも非常に多くいます。

そして、いつまで経っても理由をつけて逃げ出さないのです。

これは、この「逃げ出すことに対する不安」というものが

とてつもなく大きく、

他の人間にとっては理解しがたいほどの恐怖を伴う

感情だからともいえます。

 

 

 

つまり、ターゲットになりやすい人というのは

「支配下に置かれている自分が嫌」とは思っても、

「そこから逃げ出すほうが確実に楽だ」とは思えないのです。

逃げ出すことによる罪悪感、恐怖心が非常に大きく、

ターゲット自身を襲います。ですから逃亡に成功したとしても、

その不安というものに煽られて、

自己愛性人格障害者のもとにまた戻ってしまうケースも

あるのです。

 

それは、自然と「支配されるのが当たり前の人生」を

歩んできた人が特にそういう傾向にあります。

支配される、ということはすなわち

自分の人生を自分で選択することを奪われた人生であり、

自分で選択するよりも人の思い通りになっていたほうが

楽に生きられた、精神的苦痛を与えられずに済んだ

人生、ということでもあります。

 

自分の選択を否定されて生きてきた、あるいは

「それは非常識だ」とことあるごとに口出しされてきて

罪悪感を植え付けられてきた、という人は特に

支配されるのが当たり前の人生ということになります。

そういう人にとっては、

モラハラということの異常さが理屈ではわかっていても

感覚的にはピンとこず、

「辛くてたまらないのに、逃げ出すのは不安すぎて耐えられない」

という現象を招いてしまいます。

 

正確には逃げ出すのが不安なのではなく、

逃げ出すことが正解ではないのではないか、

非常識だと追いつめられるのではないか、

自分はとんでもないことを考えてしまっているのではないか、

ということのほうが問題で、

自分がモラハラに遭っている辛さよりもそちらの罪悪感のほうが

勝ってしまっている状態なのです。

 

つまり、支配されたい側というよりは

「支配されないよりは、支配されていたほうがマシなのかもしれない」

という感覚で生きてきているということです。

 

特に他者に対して無意識的に依存的であったり、

恋愛体質で誰かそばにいないと生きていけない、つまらない人生だと

感じていたり、

親の言う通りに生きてこないと何かしらの罪悪感を植え付けられていた、

というような頑なな人間というのは

思い通りになりやすいターゲットとして選ばれやすく、また

ターゲットも一人で生きるよりは・・・と

自己愛性人格障害者に依存しやすい、支配されても

そこから抜け出せない状況へとなりやすいのです。