安全な場所がない

自己愛性人格障害者の辞書に、

安心とか安全という言葉は

存在しません。

 

いくら高学歴を追い求めても、自己の正当化を

極めたとしても、

それでも安心、安全という場所は

確保されないのです。

 

世の中とは危険地帯であり、

すぐに足下をすくおうとする輩が

うじゃうじゃいるような場所でもあります。

 

いつそういう人達に命(精神的な命)を

狙われるか分からないのが

世の中なので、

自己愛性人格障害者はただ生きているだけでも

修羅場をくぐり抜けているような

気持ちでいます。

 

客観的にみれば、ただ自己愛性人格障害者が

被害妄想に陥ってじたばた暴れているようにしか見えないのですが、

彼らのなかでは間違いなくそういう

「周りの人間がいつも攻撃してくる醜い世界、

落ち着かない世界」というのが

真実なのです。

 

ところで、精神的な安寧が得られないものの、

自己愛性人格障害者は落ち着きたいわけでは

ありません。

安全な場所を探しているわけでもありません。

 

自己愛性人格障害者にとって、

安全な場所というものが存在するはずがないと

思っているし、

逆に安全な場所なんてあっては困ります。

いつだって世間は騒がしく、

醜い人たちが足を引っ張りあう世界として

見えていないと、

人を責めることができませんし

その人たちよりも上なのだ、と確認することが

出来ません。

安全な世界よりも、危険な世界を避難できるモラハラという思考と

環境のほうが不安がマシになる、

ということです。