「謝らない」理由は何なのか

謝罪というものはどういうときに

必要なのでしょうか。

 

例を挙げると、

自分がミスを犯してしまったとき、自分のせいで

誰かを傷つけてしまったとき、

あるいは予定が守れなさそうなとき、などといったところでしょうか。

 

ということは、逆に言えば、

「自分がミスを犯してしまった」

「自分のせい」で「誰かを傷つけてしまった」

「予定が守れなさそうだ」

と思えなければ、人は謝らないということになります。

 

もしくは「自分が悪いとは思っていないけれど、

とりあえず謝っておいたほうが収拾がつきそうだと感じたとき」。

これも、収拾がつかないほうがいいと考えている場合は

謝らなさそうですね。

 

これらは、自己愛性人格障害者の特徴に

非常に大きく当てはまります。

 

まず「自分がミスを犯してしまった」という認識は、

彼らには難しいといえます。

自分が過ちをおかすなどといったことを認めること自体

ストレスですから、そういうことはまずありません。

 

「自分のせい」で「誰かを傷つけてしまった」もそうですね。

自分のせい、という認識は生まれません。なぜなら責任感というものも

ストレスになります。責任をとるということも同様です。

誰かを傷つけた、ということも感じ取れません。

自分と考えの全く違う他人がいて、そういう人を傷つけるような自分、

という事実は自己愛性人格障害者にとって耐えがたいでしょう。

 

 

性格は変えられる (アドラー心理学を語る1)

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自己愛性人格障害者などでなくても、

劣等感が強く非常にプライドが高い人というのは

まず謝りません。謝るとか自分が悪かったと感じる前に、

「自分にもこういう事情があった」

「自分と同じ立場に置かれたら誰しもがこういう判断をすると思う。

それを加味しないで自分の責任にするのは間違っている」

という主張をしがちだからです。

 

そんな判断を下すあなた方が謝るべきだ、ということを

言い出すこともあるでしょう。

 

そして、そういう人たちにとって

「謝る」というのは=自分が間違いを犯す人間であり、

自分の責任であると真摯に認める・・・というよりも、

「謝る」=「勝負を挑まれたのに、一方的に負ける」

というような感覚になってしまいます。

 

ですから、一言謝れば済むのにいろいろと言い訳をして

長引かせがちなのもこういう人達の特徴です。

 

そこに、他人が迷惑を被ったとか傷ついたとか

そういう事情は入り込む余地がありません。

事情も知らない人達が勝手に自分に謝罪させようとして、

そういう行いのほうがひどすぎる、逆に謝罪するべきだと

考えるでしょう。

 

ミス=ただのミスである、という風にとらえることができません。

「ミス」というのは「ミスを犯した自分」に波及していき、

こんなちょっとしたことさえできない自分だったり、

こんな大きなミスを犯してしまうどうしようもない自分、

ということにもなります。

まるで自分の人格を否定されているかのように。

 

ですから、ミスをただ指摘されただけでも、

「こいつは自分の人格を否定してきた!こいつこそが

謝るべきなんじゃないのか!」と、問題をすり替えてしまいます。

もうその時点で、自分のミスというものから

逃げている証拠なのです。

 

ここまでの感覚になると、自ら謝罪するということは

困難になります。