DVといわれる意味がわからない

自己愛性人格障害者にとって、

暴力というのは脅迫行為の一種でしかありません。

 

ありとあらゆる方法を使って、

それでも相手が言うことを聞かないとき、

あまりにも不条理なことを言って

自分を困らせるとき、

どうしてもコントロールできなさそうなとき。

 

そういうときに暴力を使います。

 

自己愛性人格障害者にとって、

それは正当防衛であり致し方ないことと

思っています。

そしてその致し方ない正当防衛が

何度もあるのが特徴です。

 

第三者から見ればどう考えても

おかしいのですが、

自己愛性人格障害者というのは

自分が危機的状況に陥ったとき・・・

すばらしく間違いのないはずの自分が

間違いを指摘されそうになったときや

厄介ごとを持ち込まれそうになったとき。

 

そういうときに

自分に対するストレスを回避しようと

その危機的状況に陥らせた人間に対して

攻撃を加えますから、

自己愛性人格障害者がモラハラを繰り広げるとき

というのは必ず正当防衛である、

という認識であるのです。

 

ですから、

暴言だろうと暴力だろうと、

それは自己愛性人格障害者にとっては

暴言でもなく暴力でもありません。

 

ですからDVだとか言われる意味が分からない、

というような態度をとるのはここにあります。

 

自己愛性人格障害者というのはDVというのは

非常に暴力的な人間が

明確な悪意を持って起こすものだと

思っています。

 

そして世間一般の人間も

そう思っていることが多いのです。

 

実際はそうではなく、

DVというのは

「これはDVではない」

「これは暴力ではない」

と思い込んでいる人間が、

「致し方ない、こいつがそうさせたんだ」

という気持ちで振るうという

特徴もあるのです。

 

ですからそういうDVを繰り広げる人間は、

「じゃあ自分が我慢すれば良いのか?」

という態度をとるでしょう。

 

自己愛性人格障害者にとって、

何度相手に暴力を振るおうと、

それがDVだなんていわれる筋合いはないのです。