自己愛性人格障害者とモラハラの関係性

自己愛性人格障害者とモラルハラスメントというのは、

切っても切れない関係にあります。

そもそも、モラルハラスメントという言葉を

正しく理解している人は

世の中にどれだけいるでしょうか。

 

モラルハラスメントというのは、

自己愛性人格障害者の「症状」のひとつです。

自己愛性人格障害者というのは、

日常生活はさほど支障なく過ごせることが

多いのですが、

対人関係にて大きな障害を持ちます。

それは、

「自分の心が危機的状況になるのを

守るために、

責任を他人に押し付けたり、

自分は相手よりも正しいということを

表現するために

相手を徹底的に貶めたりせずにはおれない」

障害です。

 

この、

「貶めたりせずにはおれない」

というところが重要になってきます。

つまり、自己愛性人格障害者が

意図的にやっているのではなく、

ほぼ無意識に、半自動的に

そういう心のシステムになっている、

といえます。

それがいわゆるモラルハラスメントに

なります。

ですから、

自己愛性人格障害者が進んで

モラルハラスメントをやっているのではなく、

自己愛性人格障害者は無意識的に

自分の心を守るために

他人を貶めるような行為をしてしまい、

それが結果的に

モラルハラスメントになっている、

ということになります。

 

そして自己愛性人格障害者が

自分の心の崩壊を防ぐためには、

対人関係にてこの

「モラルハラスメント」というものを

続けていくしかありません。

人が社会で生活していくなかでは

必ず責任を負ったり、

何か理不尽な不利益を被ったり

しなくてはなりません。

ですが、

自己愛性人格障害者の心は

それに耐えるほどの力がないのです。

 

ですが、

それに耐えるほどの力がないほど

弱く、脆く、不確かであるというのは、

立派な障害でもあります。

なぜなら、

ストレスや責任は、

人を選ばずにやってくるからです。

何か思い通りにならないことや、

負担の大小限らず厄介なこと・面倒くさいことは、

どの人物のどの人生にもやってきます。

しかも何度もやってくるでしょう。

その面倒くさいことを

自分で背負い込む力や乗り越える力が

なければ生きていけないのですから、

自己愛性人格障害者は

なんとか「それを自分が背負わなくても」

生きていける術を発動させなくては

いけません。

 

普段、自己愛性人格障害者ではない人間でも

心に大きな負担がかかりすぎれば、

「自分のせいじゃないし」

「本当はああしていればいい結果が

生まれたのだけど、

それができなかっただけだし」

「いつもならできるし」

と、自分に言い訳をします。

自己愛性人格障害者の場合、

それがストレスの小さなことでも、

とにかく誰かに背負わせなければ

気がすまなくなってきます。

「自分のせいじゃないし」

という言い訳が、

言い訳ではなく本当のことだと思い込んでしまい、

自分が乗り越える必要のあることではない、

誰かに乗り越えさせればいい、

誰かに背負わせればいい、

誰かが背負うべきことだ、

と自己愛性人格障害者の心が

自己愛性人格障害者を守るために

自分で自分に嘘をつかせるのです。

 

その自分への嘘をまんまと信じ込み、

自己愛性人格障害者は本当に

「自分には責任がない」

「あいつの追うべき責任だ」

「こんな弱い人間に責任を負わせる人間は悪だ」

と思い込みます。

ストレスがかかりそうに

なるたび、物事が思い通りに

いかない度にそう思い込まないと、

自己愛性人格障害者は生きていけません。

 

そのために、

「いかに自分には責任がないか?」

「なぜあいつの負うべき責任か?」

「こんな弱い人間に責任を背負わせる

人間は絶対に悪」

という思い込みを強化させ、

その思い込みを元に

相手を攻撃します(モラルハラスメント)。

 

 

たとえば

「なぜおまえの負うべき責任か」

→なぜなら自分ばかり負担になっている、

こんなに負担に感じているのに

お前は何もしようとしない、

せめてこれくらいはやるべきだ、

救いを求めているのだから

そのくらいはして当然である、

という表現になるでしょうし、

「こんな弱い人間に背負わせるなんて

お前は悪だ」

→自分はこれだけの責任を負っているのだから

もう責任は負えない、

いつも自分ばかりが犠牲になるのだ、

自分はこういうことばかり背負い込まないと

いけない人生だ、もういやだ、

自分はお前と一緒になってこういう人生になった、

人生が狂った、

本当はこんなつもりじゃなかった、

食事もとれない睡眠もとれない時間もない

余裕もない・・・

こんな人間に背負わせようとする

お前は悪だ!

という表現になるでしょう。

 

いつもいつも、自己愛性人格障害者に

ストレスがかかるたびにそういう

「道徳を盾にして相手を攻撃する状態」に

「ならざるを得ない」のです。

それが、

「モラル(道徳)」を利用した

ハラスメント、

モラルハラスメント、モラハラです。

しかし

このモラハラという言葉は、

世間一般では会社での陰湿ないじめや

人格否定の言葉で

使われることが多くなってきました。

なぜか?

自己愛性人格障害者のモラハラも

そうでない人物が行う人格否定も、

傷ついている被害者がいるということは

何も変わらず、

そうした人たちにとっては

相手が自己愛性人格障害者だろうと

ただの陰湿な人間だろうと

そんなことは関係ないからです。

 

また、

心が極端に脆弱な自己愛性人格障害者でなくとも、

ストレスが大きかったり

ストレスを抱えきれなくなったら、

責任転嫁をしやすくなることがあります。

ですから、

一時的に「道徳や常識を利用して

相手を貶める」

→常識ではそれはおかしい、

人としてどうなんだ、

という表現で相手を貶める・・・

ということです。

 

それをされた相手は

攻撃してきた自己愛性人格障害者だろうが

そうでなかろうが

関係ありません。

ですから、

そういう人たちにとって

「モラハラ」という言葉は、

「ああ、自分もモラハラに遭っているんだ」

という表現として使用しやすく、

いつのまにか

人格否定=モラハラという言葉が

定着したのです。