自己愛性人格障害者の治療は困難を極める

自己愛性人格障害の治療というものは、

自己愛性人格障害者は望めません。

ですから、

自己愛性人格障害を治療する、

というのはまず前提として不可能であると

思っておいたほうがよいでしょう。

たとえばあなたに麻痺があります。

あなたは手が思うように動かせません。

そういうとき、

あなたは麻痺を治してほしいと

思うでしょう。

それは当然ですね。

自分が困っているからです。

 

では自己愛性人格障害者の場合は

どうでしょうか。

自己愛性人格障害というものは、

「自己愛にこだわらざるを得ない」

障害です。

自己愛が満たされ、成熟し、

他者愛へと発展できます。

それは、自分を認めることができるからこそ

他者というものを認めることが

でき、

愛することができるからです。

 

ですからモラルハラスメントを行います。

モラハラ思考にて、

自分を守らなくては精神的に

生き伸びていくことができないからです。

自己愛性人格障害者は、

「自己愛にこだわらなくては」生きていけないのです。

その症状に困るどころか、

むしろその症状がないと

生きていけないのです。

麻痺というのは

その麻痺を起こしている人間が

困りますが、

モラハラというのは

モラハラをしている人間ではなく

モラハラを受けている人間が

困るだけです。

 

ですから、

自己愛性人格障害者だと

「自分は治療が必要な状態である」

という認識自体がまず促せません。

自分は困っていない、

むしろその症状に助けられているからです。

その症状があるからこそ

自分の脆弱な心が

いろんなストレスや責務を

避けられ、

他人に転嫁することができ、

自分というものをなんとか

ギリギリでも保って生きていけるのです。

 

しかしそのような心の仕組みは

無意識下で行われ、

自己愛性人格障害者自身も、そして周辺も、

なかなか認識することはできません。

 

自己愛性人格障害者は

自分の心を守るために

モラハラを行います。

ということは、

自己愛性人格障害者のそれは

ただのモラハラである、

ということを認識させようとすると、

心が自己愛性人格障害者の精神を

守るために働き、

「自分を病人扱い・モラハラ扱いすることが

いかに愚かなことで、

そう言っている相手が間違っているか」

ということを示すのに躍起になります。

 

自己愛性人格障害者が

入院したとしても、

自己愛性人格障害者にとっては

「本当に自分が病気だというなら

その病気を治してみせろ」

という挑戦的な態度のことが多いでしょう。

そして自己愛性人格障害は

結局治らないのです。

そして「やっぱり治せない、

なぜなら自分は病気なんかでは

ないからだ。

そしてお前たちが無能で、私が正しいからだ」

という結論に至るでしょう。

自己愛性人格障害者は、

「無能な者は生きている価値がない」

と思い込んでいる節があります。

 

そして、

無意識では自分のことを

「それこそ自分は無能で無価値」だと

認識しています。

それは、

誰かからの(多くは親の)刷り込みにより、

自分の自我というものが非常に

曖昧で不確かで、

正解を出せない生きている価値のない

人間、という認識が埋め込まれているからです。

親の言うことは、絶対です。

いくら自分の中で反発しても、

自分が無価値であるという認識は消えません。

しかも自己愛性人格障害者の親は

「お前は無能だから、無価値である」

と理由をつけたがりますから、

 

無能なやつは生きている価値はない、

ミスをする人間は生きている価値はない、と

どんどん刷り込まれていきます。

それが現実のことだと疑いようもないうちに

そう刷り込まれていくのです。

そんなことは真実ではないのに、

それが当たり前になっていきます。

そしていつのまにか、

自分が無価値であるのが当たり前になってしまい、

心はこれ以上傷つくと

精神が死んでしまうと判断し、

自分に対する責任を誰かに

擦り付けたり自分のせいではないという

認識を自己愛性人格障害者自身に

させるようになります。

 

それがモラハラ思考の始まり、

自己愛性人格障害の始まりです。

もともとは

自己愛性人格障害者が

自分を保つための術としての

最後の手段です。

自分は無価値なんかじゃない。

自分はミスなんかしない。

もしミスをしたとしたら

無価値ということになるから。

そう刷り込まれてきたから。

そういう人間ではない。

ミスをしたとしたら、そうさせた、

誰かの責任に違いない。

そういう思考で自分を保ちます。

 

被害者は

「自分を失いたくないなら

がんばってくれるはず」と

考えるのは自由ですが、

モラハラ思考というのは

もうそれ以外に

自分を守る術(無価値だと信じ込んでいる

自分を生き延びさせる術)がなくなってから

生まれたものですから、

「モラハラを治療する」

「自己愛性人格障害を治療する」

というのは

そう簡単に考えられるものではないのです。