「成熟した依存」

精神科医でコフートという人物がいます。

コフートの理論で、非常にいいなと思うのは、

「人間は成熟した依存を目指すべき」といった思想です。

 

以前、記事中でアドラー心理学に触れたとき、

やはりどうもアドラー心理学は「依存体質」の人が

読むには急に訪れた別世界の話のようで、

とっつきにくい印象を与えやすいものでもあるなと

感じていました。

自分の課題と他人の課題というものを急に

分けるには、自覚するにはいい勉強になるにしても

実践にはかなり難しいものでもあります。

他人の課題を自分の課題のように感じることが

必要な人間、それを必要として生きてきた人間に

とってはなおさらです。

 

コフート心理学・コフート理論というのは、

「人間は完全な自立を目指すべき」といった考えよりも

「成熟した依存」という状態が人間の最終的に行き着く場所と

考え、

依存心をもっと認めるべきだというものです

(当然ながら自己愛性人格障害者を

肯定するものではありません)。

 

ターゲットや被害者気質の高い人のように、

知らぬ間に共依存の状態に陥ってしまうとか、

そういう人にとって「自立」というのはその言葉自体が

重荷に感じてしまうこともあると思います。

自立が必要というには確かにその通りなのですが、

どこか突き放した、そういう印象を持たれやすい

言葉であると感じるのです。

 

人間、誰もが最初は自己愛的に生きなくては

なりません。そこから発展していくにしても

最初に踏むべき段階が自己愛なのですから

人間はみな自己愛を否定はできません。

そこから自立にもっていくよりは、

理にかなった・社会として受け入れられやすい

「依存心」を発達させていくという考えのほうが

しっくりくると思います。

 

 

そういう意味では、コフートのこの

「成熟した依存」というのは非常に

とっつきやすい言葉でもあります。依存心を否定せず、

なおかつ完全な寄りかかりというものが

いかに「未熟」なのかが良くわかるからです。