「被害者意識」から抜け出す方法

被害者意識というのは

自己愛性人格障害者のガソリンであり、

恰好の餌食になるものです。

 

そして被害者側のガソリンにもなるものです。

 

被害者は、「ただの被害者」になるのを好みません。

いいや被害者じゃない。ちゃんと愛し合っている。

ちゃんと優しい部分もある。

思いやりを見せてくれるときもある。

そういう風に心は反抗します。

 

なぜなら加害者ー被害者の構図だけに着目されると、

自分がどうしようもない馬鹿で、

モラハラされていることにも気づかない

どうしようもない人・・・として

見られているような気がするからです。

そして被害者というのは、実際にそういう目で

みられます。

 

たとえば洗脳騒動などで、たびたびメディアに洗脳されている人が

出ることがあります。

洗脳されている本人は、いたって普通通りです。

人々はこう思います。

「なんで、気づかないんだろう?」

気づかないのではありません。気づいていながら、

心が回避しているのです。

心が回避し、洗脳されているほうが楽だったり

耐えがたいストレスから逃れられるのであれば、

人間というのは簡単にそちらのほうを選ぶものです。

 

被害者が受ける洗脳は、

「あなたはどうしようもない人で、

人を愛せない人だ。

けれども自分の言う通りにしなければ・・・の話で、

あなたの代わりに自分が導いてあげよう」

という洗脳です。

 

自己愛性人格障害者は時に

「愛してるよ」「大丈夫?」「辛いならいつでも

言うんだよ」と優しい言葉を被害者に投げかけます。

 

そしてあるときは

「常識がない」「人としての配慮が何ひとつない」

「自分がこれだけ辛いのに我慢していることも

全然気づいてない」

と、たびたび爆発します。

 

その繰り返しです。

そしてそのどちらも事実なのですが、

被害者というのは優しい自己愛性人格障害者を

強く愛します。

 

自己肯定感の低い被害者にとって、自己愛性人格障害者の強い

「愛している」という言葉、断定した意見というのは

本当に輝かしくみえるものです。

こんなに愛してくれる人は、この人しかいないと

被害者は思うでしょう。

その断定が、無責任という心から出てくるものなんて

最初は知る由もないからです。

 

被害者というのは、

自分というものが正しく見えていません。

自分と社会との関係というものも正しく見えていません。

 

「自分は常識だけはある人間だ」

「倫理感だけは大事にしている」

「人を意図的に傷つけたりしない」

と自分に対して評価している被害者はとても多いですが、

それは間違いです。

 

どちらかというと、

それに拘らなくては自分の価値がないと思い込んでいるからです。

多少非常識でも、それでも自分の価値は脅かされないと信じていれば

モラハラなどにはあいません。

非常識な自分など責められて当然だ、

非難されて当然だ・・・というその心が、

「自分は道徳心だけはある」「相手の言うように、

非常識ではないということを示さないと!」

という反骨心とモラハラコントロール被害につながります。

 

まずは、自分というものから道徳、まじめ、倫理観、

というものをはがしたら一体どういう人間なのか?

 

本当は何が好きで、恋をしていない、

自分自身を見つめる時間があったら何をしたいのか?

という部分が入り口になります。

自分は真面目な人間である(逆にいえば、それしかない)という

発想を捨てることです。

 

まずは、そういう評価を曖昧にさせて、常識のない人間は

無価値だと言い続けるモラハラ加害者のもとを

離れなくてはなりませんが。

 

 

アルフレッド・アドラー 一瞬で自分が変わる100の言葉

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