結婚=幸せという妄想

人はなぜか、結婚すると幸せになるとか、

子供を産むと幸せだとか、

そういう発想に行きがちになります。

 

それは、幸せな理想的な形というものが

結婚すると「勝手に」やってくるという

思い込みがあるから、というのもありますし、

 

幸せになりたいとい考えが

結婚という形としてとても分かりやすいものであり、

恋愛というものはノルアドレナリン、

β-エンドルフィンやフェニルエチルアミン、

セロトニンなどが活発に

脳内に放出されますから

非常に分かりやすく快感を得られ、

「幸せに酔える」状況です。

 

日々のストレスが強かったり、

劣等感を抱いていると

恋愛や結婚という形に逃げたくなる人が多いのも

事実です。

なぜならさっさと快感を得られるのが

恋愛であるので、

その延長である結婚というものは

まるで「永遠の愛」「すばらしい快感」を得られる

ものだというイメージが先行するのです。

 

当たり前ですが結婚や同棲というのは

生まれも境遇も異なる他人同士が急に

永遠の愛を誓ったりして一緒に暮らすものですから

「現実」を見て生活して、また現実への対処能力がないと

その「現実の生活」を調整しながら生きていく

努力が必要になります。

永遠の愛を誓うというのは当たり前ですが

宇宙空間で体を絡めあい愛し合い続ければいいというものでは

ないのですから

衣食住の確保、ゴミ捨て、掃除、

消耗品の準備と取り換え、等とても快感とはいえないような

事実の連続です。

 

ところがそういう幸せや快感にだけ着目して

恋愛したり結婚したりしていると、

この現実問題というものを誰がどう対処するか、

ということが問題になってきて、

よりよく、愛や幸せというものを阻害しないように現実問題に

対処していくのは技術と努力が必要であって、

その技術と努力をなんとか他人の力で補おうとする

自己愛性人格障害者だと到底、愛というものは

達成されず現実問題に対処しなくてはならないのは

パートナー一人、ということになりかねません。

 

当たり前ですが、

結婚というものは協力して生きていかなくては

一人の力ではとても生活してはいけません。

そもそも協力する力がない、協力しようなんて思ってもいない

人間がパートナーになると、

その結婚生活に確実に幸せというものはやってきません

(恋愛はし続けられるでしょうから一定の

ホルモンは放出され、幸せだと感じる瞬間は

あるかもしれませんが)。

 

人は、モラハラする権利を持ち合わせてはいませんし、

パートナーだってモラハラを受ける義務などありません。

 

しかし、実際にモラハラをする人間はいるのです。

それが良いか悪いかというのは別にして、

いや別にしなくても、モラハラ加害者というのはモラハラを

悪いこととは思う能力すらないのですから、

いくらモラハラは悪いことであると言っても

どうしようもないのです。

 

モラハラというシステム自体が

自己愛性人格障害者の精神的安全を確保しているのであって、

パートナーはただその犠牲になるだけですから。

そしてモラハラシステム上、犠牲にしなくてはならないのですから。

モラハラでなくともそういう人間は一定数、

この世に存在しているのであって、

結婚=幸せになれる、とか快感に溺れがちなくらい

普段劣等感を抱いていたりストレスをためていたり

するような人だとたちまちその幻想に引っ張られがちになり、

 

「結婚=幸せ」になれるはずなのに!

夫婦は愛しあうべきなのに!

という、自分の理想だけを追い求めてしまう原因になってしまいます。

 

もちろん、それを追い求めてしまうこと自体は悪いことでも

なんでもないのですが、

当然ながら結婚というのは現実問題の対処の連続である、

というストレスにも耐えられるような人でないと、

そしてお互いがそういう人間ではないと、

どちらかが負担を強いられる結果になるのは目に見えていて、

 

「結婚=幸せ」のはずなのに・・・

愛があればなんとでもなるはずなのに・・・

という考えにいつまでも執着しないといけないはめになります。