共感性が低い人とは

共感性というのは、

他者理解から生まれるものです。

つまり、他者を理解していないことには

共感性は生まれませんし、他者をそもそも理解する力がない人というのは

人に共感できません。

 

逆に、他者を理解しようと自分を犠牲にする人というのも、

本当の意味では他者を理解できず、「共感しているポーズ」は

得意でも共感性は低いということにもなります。

それは、他者を理解しているよ、これだけ共感できているよ、

という姿勢をとるのが

その人にとって重要なだけであって、本当に

共感性が高い人であるかどうかとはまた別の話だからです。

 

自己愛性人格障害者や境界性人格障害者であれば、

そもそも他人と自分の区別がついていない、自他の境界が曖昧で

他人は自分の醜い面を映し出す鏡でしかないのですから、

他者理解とは程遠い位置にいます。

ですから共感性に欠けるということになります。

 

共感的関心、という言葉があります。

つまり思いやりや配慮の気持ちのことです。

この思いやりという概念は、「不遇な相手に対する

同情や関心」を指します。

ここでも不幸を競おうとする人、つまり自分が被害者で

あることに対して異常なこだわりを持つ人は、

「お前が不遇なわけがない。私こそが不遇な運命を

背負わされているのだ」という敵対心を持つしかありません。

 

ここでもこの共感的関心という感情が生まれにくい要因の

一つとなります。

 

こどもは、正常な心理発達をたどると

「視点の違い」を理解できるようになります。

すなわち「自分の欲求」・・・自分だけの視点とはまた異なる

「自分以外の欲求」、他者の視点からの物事の見方が

可能になるのです。

そうして目の前にいる人物の要求、苦痛などに共感的反応を

示すようになり、あるいは目の前にいない人物、物語の主人公などの

架空の人物に対しても想像を膨らませ、共感することが

できるようになります。

 

この共感性の欠如こそがいじめや虐待、モラハラ、

自己中心的な反応へとつながっていく要因でもあります。