依存心は束縛に繋がる

相手に対する依存度が強ければ強いほど、

それは相手に対する束縛として

表れます。

 

「自分はなんでも言いたいことは我慢してしまうから、

依存したり束縛はしていない」という人でも、

「思い通りにならない相手」に対して

我慢する頻度が多くなるだけであって、

それが「依存していない」という証拠にはなりません。

 

ただ言葉で表現したりしないだけであって、

「なんで電話してこないの?

私のことが好きじゃないのか?自分のことだけ考えてるの?

普通、相手が寂しいだろうと思って

配慮するんじゃないの?」

という気持ちを抱えているのなら、

それはいつか相手への束縛として表れます。

 

自分はこれだけあなたのことを思って

愛しているのだからこうしてほしい。

これだけ辛い思いをしているのだから

こうしてくれるのが普通、常識。

 

という相手の配慮を強要するような気持ちがあると、

人間というのは「我慢している」つもりでも、

それを表現しなくては気がすまないのです。

 

愛しているということを何度も表現するようにいう、

電話を、メールをこれくらいはするように伝える、

といっても相手はパートナーを中心に生活していくことはできても

それは義務でも何でもありませんから

電話が途絶えたりメールが都合によってできなかったりすることは

普通にあり得ることなのですが、

それを「ほら、私を愛していないのだ」という風に

直結させてしまい、

愛しているならこうやって行動で示しなさい、と

いう押し付けをしがちであるのは完全に束縛といえます。