ちょっとした恥も許せない

恥、という概念は

非常に複雑なもので、単純に

「周りに批判されたから」とか「ミスを指摘されたから」、

「公の場で秘密を明らかにされたから」という

そういう単純なシーンだけで生まれるものではありません。

 

たとえば、「来週はあなたの誕生日だから、

家族みんなでお祝いしよう」という

申し出を「何を馬鹿なことを言っているんだ」とわざわざ

断る人もいます。

なんならそんなことを言い出すだけで怒り出す人もいますし、

誕生日は面倒くさいからお互いにやりとりはなしにしようと

言い出す人もいます(もちろん、純粋にそう思っているから

断る場合もありますが)。

 

「誕生日だからっていちいち浮かれるなんて馬鹿みたいだ」

という表現をして不快感を示す人もいます。

 

誕生日というのは、もちろん誕生日を迎えた人が主役であり

注目を集めます。

ところが、そういう場面でも「恥」という概念は生まれるのです。

すなわち、自分が注目されているという自覚。注目の的に晒されている

という自覚が恥を呼び起こします。

 

自己愛性人格障害者は、自分が特別で注目されるべきという

自己肥大を持ち合わせていますが、同時に

そういう恥には耐えられないという性質も持っています。

むしろ、そちらのほうが等身大の彼ら、現実的な人物像なのです。

 

ですから、注目の的になりそうな場面を

極端に避けようとします。

「みんなで誕生日をお祝いしよう」という言葉ですら、

「こいつは自分の恥を周囲に晒そうとしている」

という被害的感情に駆り立てることもあるのです。