モラハラが完全に避けられない理由

ストレス要因の一つに「恥」という概念があります。

 

モラハラが完全には避けられない理由の一つとして

この恥、という概念が非常に大きなものとなります。

被害者が自己愛性人格障害者が恥を感じるきっかけを

取り除こうとしたとしても、

人間というものは勝手に恥という観念を感じる生き物

だからです。

 

「恥」とは、堅苦しい言い方になると

「無意図的な、あるいは自らの望まない苦境や

逸脱を意識した際の反応」とされており、

「自己呈示が適切に行われないことを意識した際の

反応」とも定義されています。

 

その他羞恥心という言い方をしたり、気恥ずかしさ、

いたたまれなさ、対人不安という表現で日常生活には汎用されている

言葉でもあります。

反応といっても、それらの多くは「屈辱的な反応」として

表現されるでしょう。

 

恥を感じる場面というのはかなり多様にわたり、

「公の場の嘲りに対する反応」、

あるいは「他者の賞賛の的になっている場合、

その場面における他者の注目に対するいたたまれない感じ」など。

 

恥とは研究上、3種類に分類されることがあります。

「公恥」、すなわち所属集団から孤立している自己を

自覚したときに劣っていることを覚える感覚、

「私恥」、自分自身のどうありたいか、という理想的な自己と比較し

現実的な自分が劣っていると自覚されたときに覚える感覚です。

そして残り一つ羞恥とは、恋人と街を歩いていたときに同級生と

出くわす、などといった際に感じる「恋人」として行動している自分と

「同級生」として見られている自分との意識のずれに基づく気恥ずかしさ、

です。

これは、どのような場面でどのような恥の感覚が生まれるか?

という一つの類型であって、

これ以外にも恥というものを感じる場面は非常に多くあります。

 

また恥という感情が生まれると、「気恥ずかしい」とか

「決まりがわるい、ばつがわるい、後ろめたい」とか

「かっこ悪い、無様である」という一種の情緒的反応が

生まれるのですが、

いわゆる恥というのは強烈なストレス反応でもあるということが

見て取れます。

ある場面では「混乱的恐怖」、ある場面では「自己否定感」、

「自責的委縮」という自身のマイナスともいえる状況を

引き起こします。

 

自尊心低減モデルといって、発生原因としては

わかりやすく「他者からの批判によって、自尊心が低減される場面」

というものがあります。

 

しかし「私恥」の説明でもわかる通り、公の場で

恥をかくようなシーンを避けられたとしても、

自分がどうありたいか?どうあるべきか?という自己像に対して

自分は劣っていると自覚することは普段でもあるはずです。

なぜなら自己像が強ければ強いほど、失敗は許されず、

この場面では失敗をするであろう自分というものは受け入れられない

はずですが、

どの場面でも確実に失敗をしない、失敗してしまう自分を

目の当たりにすることが一切ないなんてことは現実的には

ありえないからです。

 

これは、人の批判を避けているだけでは人間が「恥」という感情からは

逃れられないことを意味します。

 

そして失敗をしないであろう出来事やライフイベントだけ

その身に起こる、というような奇跡的な人間もいないでしょう。

つまり、ストレスに弱い自己愛性人格障害者にとって、

世間や現実というものはただそこにあるだけで

厳しいものとなります。

理想的自己が肥大してしまっている

自己愛性人格障害者自身が現実を厳しいものにしている、

ともいえるのですが(そもそも自分は失敗する人間だという

自覚があれば、現実が厳しいとは思わないでしょう、

自分が失敗などするはずがないという意識が

現実を厳しくしているのですから)。

 

ですから、いくら被害者が自己愛性人格障害者の

無力感を補おうとせっせと働いても、

自己愛性人格障害者が恥を感じる(最終的にはストレス回避と一緒に

そのような恥というものもモラハラ思考にて

感じなくしてしまうのですが)たびに、

自己愛憤怒を起こしたり被害者に八つ当たりをする

はめになるわけです。