モラハラにラインなどない

モラハラとかパワハラとかで

気になる人が多いのは、

「どこからがモラハラ(パワハラ)なの?」

と言った点です。

 

そして、

基本的にこういうことを気にしながら

生活している人というのは、

まずモラハラとかパワハラを行うことは

ないでしょう。

 

モラハラ思考、パワハラ思考が備わっている人というのは、

「(自分がやっていることが)間違っているわけがない」

という思考の持ち主だからです。

自分は絶対的思考の持ち主であり、

絶対的な権力の持ち主です。

 

普通、大きすぎる権力を持つとそれが怖い人や

「名ばかり上司なのでは」というような

危惧をする人も多いものですが、

権力をアイデンティティそのものだと考えてしまう人というのは、

心の脆弱性がその権力で補填されてしまい、

「自分というのはその権力通り、絶対的な存在である」

というような勘違いを起こしやすいです。

というよりも、そういう勘違いを起こしたいがために

上を目指す人たちです。

 

ですから、どこからがモラハラのラインなのか?

ということは考えません。なぜなら、

自分がそんなラインに引っかかるはずはないと

思っているからです。

なぜなら自分の言動は絶対的に正しく、清いのですから。

 

そして、そういう気質がない人も同様に、

モラハラにラインを引くのはあまり意味がないことです。

これはモラハラかそうではないか?ということを

気にしていること自体、

「モラハラならば向こうが間違っている」

「そうでなければ自分が間違っているのかも」というような

変な内省が入っています。

ただ傷ついた実感があるからこそ「これはモラハラなのでは?」

ということを気にしている事実があるでしょうから、

その傷ついた自分の感覚というものを大事にしたほうが

よいでしょう。