自己愛性人格障害者は後悔するのか

自己愛性人格障害者は

後悔することがあるのか?

ということですが、

 

そこには、被害者が考える

「自分への攻撃や、

いままでの罪や、

自分が間違っていたのだと

いうことに気がついてほしい」

という希望が介在するものです。

 

自己愛性人格障害者が

ただただ後悔したところで、

そこからなにも繋がらなければ

なんの意味もないのですから。

 

本題に入りますが、

自己愛性人格障害者も

後悔はします。

 

ああしなきゃよかった、

ということはよく口にする

自己愛性人格障害者も

いるかもしれません。

 

が、それは自己愛性人格障害者が

被害的になっているとき、

時間を使って無駄になったとか

とんでもなく意味のないことを

してしまったとか、

その後悔を「こんな酷い後悔を

させる原因を作った誰か」に

怒りをぶつけるために後悔します。

 

ただこれは被害に遭った方もよく

ご存じのとおり、

自己愛性人格障害者の感情というよりは

モラハラ思考によって彼らもそう

思わされている、

という特徴があります。

 

こういう後悔ではなく、

モラハラしたこと自体を後悔することは

あるのか?

という問いにはyesという返答ができますが、

 

モラハラをしたことで傷つけた、

そのことについて後悔するわけでは

ありません。

 

モラハラをしたことで

ターゲットに逃げられたなら、

そこで初めて後悔するでしょうが、

「ああ言わなきゃよかった

(ならお前を傷つけることも

なかったのに)」という態度で、

「ああ言わなきゃよかった

(じゃなきゃいちいち

逃げられずに済んだのに、

めんどうくせえな)」

という後悔といえます。

 

そもそも、自己愛性人格障害者のなかに

「傷つけてしまった…」

という感覚は生まれません。

 

他人の傷を知りようがないのです。

 

その傷を知ることができれば、

自己愛性人格障害者は

きっと後悔して

自分の今までの過ちを悔いるのでは?

と考え、自分がどれだけ傷ついているかを

訴える人もいるでしょうが、

 

そう訴えられれば訴えられるほど

その責任から逃げるのもまた自己愛性

人格障害者の特性なので、

そういう「後悔」を引き出すための

努力というのは

なかなか難しいことでしょう。

 

あくまで

「このままでは自分が損をしすぎる」

という意味での後悔しか

生まれないのです。