愛まで脅迫の材料にする

自己愛性人格障害者は

愛を他人をコントロールする材料として使います。

 

愛しているよ、と愛の言葉を

伝えることを惜しみません。

甘えているような態度を見せることもあるでしょう。

 

被害者体質の人や愛を欲している人からすると、

愛されているという実感が

口からは得られやすいのがこの関係性の特徴です。

 

ですから、なかなか被害者は離れられなくなるのです。

 

なぜなら、自己愛性人格障害者のそばにいれば、

愛をやるという風に、教育・洗脳されるからです。

 

被害者もなんとなく途中から、

「どう考えても、愛している相手に

やることではないのでは」ということを平気でされたり、

暴言を吐かれたりします。

 

「ストレスが溜まっていたせいだよ」というには

あまりにも失礼な言葉を簡単に投げつけたりもします。

 

しかしそれらのバランスをとるように、

DVでいうハネムーン期がやってきます。

 

暴言を吐きながら愛しているよ、というのは

おかしな話なのですが、

愛を獲得したい人達にとっては、

愛しているよという言葉を信じたほうが都合がいいのです。

 

宗教も同じことがいえます。

されていることはおかしいのではと

思っていても、その宗教に属したほうがいいと

感じているとき、自分が日常的なものではなく

非日常的な場所そのものを願っているとき、

その宗教に属して何かを得ようとしているときは

洗脳されたほうがいいからこそ洗脳されるのですから。

 

自己愛性人格障害者はそのことをよく理解しています。

なぜなら、被害者体質の人はそれだけで、自分のために

働いてくれるからです。愛の言葉を吐くことも

なんでもありません。

なんなら、愛しているだのなんだのと言う必要性もなくなれば

愛という強迫も必要もなくなっています。

ただ本能のままに、衝動のままに、相手を押さえつけることが

どんどん増えてくるのです。