口先だけの人

口は災いの元ともいいますが、

言葉というのは「人にどう思われたいか」

「人にどうしてほしい(どう思ってほしいか)」が

如実に表れるものでもあります。

 

「苦しいな」

「こんなに辛い思いをすることになるなんて」

ということを頻繁に口に出している人は、

辛いということを伝えたいのではなく、

「苦しいからどうにかしろ」

「あなたがこの辛さを処理する義務がある」

「同情心を買いたい」

「自分は辛いというサインをこんなに出しているのだから、

次はあなたが助ける番」

ということを伝えたいのかもしれません。

 

特に、自己愛性人格障害者であれば

弁が立ちます。それは、彼らが

衝動で物事をさっさと動かそうとする人達であり、

そこには「相手への配慮」とか「こう言ったら嫌われるかも

しれない」とか

そういう危惧が全くないからです。

 

ですから人を傷つける言葉がぺらぺらと出てきます。

 

同時に、自慢話もすらすらと出てきます。

そして共通しているのが、

「自分は、こんなところでは終わらない人間だ」

「将来、とんでもないことを成し遂げられる才能がある」

ということを信じているということです。

 

自分の理想がどんどん肥大していき、

自分が持っている才能をひけらかして

自分が見ている理想郷を他人(主にはパートナー)に

広めようとする状態が目立ちます。

 

しかし、現実検討能力がないので、

自分の現時点での持っている才能、環境、その理想郷に

費やせる時間、自分自身が現在そこまで努力しているか?

ということは加味されません。

 

そしてそれらを他人に言うのは、

「自分はどれだけ尊いことを成し遂げられる存在か」

「自分はどれだけ高貴な人間か」

「自分は他人とどれほどの格差があり、他人はどれだけ

みすぼらしい人間か」

ということを知らしめたいからともいえます。

 

その理想郷が高ければ高いほど、

自分はそんな夢を描くことのできる能力の持ち主であり、

平平凡凡な生き方しかできない、そんな人間は

この世にただ生きているだけで無意味な存在であると

示すことができると考えるからです。