自己愛性人格障害者を「懲らしめる」という発想

自己愛性人格障害者を懲らしめたいという人は

多いと思います。

 

それだけ、自己愛性人格障害者が

人の尊厳をめちゃくちゃにするような

言動をし続けているということです。

 

そしてそれはこれからも続くでしょう。

過去から現在、未来へとモラハラは連鎖していきます。

 

自己愛性人格障害者は、

その防衛システムのために無敵である状態です。

 

ですから、「懲りる」という発想自体がありません。

もし、自己愛性人格障害者を懲らしめようとするならば、

命がけでやるしかありません。

自己愛性人格障害者は、ターゲットの命を奪うことなど

造作もないことです。

 

もし、社会的に懲らしめるならば

彼らから距離を置いて、二度とどこにいるかを

探れないようにしなくてはなりません。

でないと、復讐心はそっくりそのままターゲットへと

戻っていき、ターゲットが被害を被ることにしかなりません。

 

誰もが、「相応の罰を与えてほしい」

「そうじゃないとこの人は目が覚めない」と思います。

誰もが、

「この人は私がいないと生きていけない」

「別居して、ありがたみを分からせてやらないといけない」

と思います。

 

人は、そんなに簡単には「懲りる」という状態にはなりませんし

反省はしません。

あるのは、そういう風に反省を無理やり促そうとする

人間への憎悪のみです。

 

それ相応の罰があれば、みなきっと自分の罪に気づくはずだ・・・

ということは、

自己愛性人格障害者でなくても大変なことです。

 

人は簡単には「懲りない」ということをまず理解しなくては

なりません。