自意識過剰な人の心理

自意識過剰とは、

自分自身の事柄を異様に意識してしまうことであり、

「公(おおやけ)に自分がどう見られているか?」ということを

過剰に気にすることです。

 

過剰に気にするということは、

ありとあらゆる情報を、根拠もないのに

「自分へ向けられた悪意(賛辞)ではないか」

と受け止めることでもあります。

 

公に自分がどう見られているのか?と気にすること自体が

悪いことなのではありません。

この自己意識を「公的自己意識」といいます。

 

反対に、自分がどう振舞いたいか?という自分主体の考えを

「私的自己意識」と言います。

つまり、自分がどうありたいかという意識のことですね。

 

公的自己意識が強すぎると、自意識過剰という

状況が起きます。

この公的自己意識と私的自己意識のバランスをうまくとることが、

生きづらさを解消する一つのきっかけになります。

 

また、公的自己意識は周りから見た自分のことを意識してしまうあまり、

他人が意図していないところで

「その発信は自分に対して行われているものではないか」

と過剰に反応してしまいます。

 

たとえば、ミーティングで全員に向けた発信の些細な一節が

「自分自身に向けて言われているものじゃないか」と考えます。

 

たとえば全員の企画に投票しなくてはならないとして、

自分に向けられた些細な一票を、

「この人は自分のことを好きなのではないか」と考えたり、

「あの時、そういえばああいう行動をとっていたけど、

自分に好意を寄せているという意味だったのか?」と何度も考えたり、

逆に「この人は自分から何か搾取しようとして

一票を投じたのではないか」と考え、疑心暗鬼になったりします。

相手が深く考えていなくても、その100倍くらいの時間、

エネルギーをかけて悶々と考えます。

 

SNSで一文だけ返信を貰っただけで、

「自分に対する興味があるのだ」と確信を持ったり

「普段は返事なんかしないくせに、

自分のことをなめている、馬鹿にしている」と

考えたりします。

 

コミュニティの一員になると、コミュニティの全員が

自分に対してどう感じているのか?変に思われていないか?

ということを気にし続けます。

 

この自意識過剰があまりにもひどくなると、

環境の変化や天候など、個人ではどうにもならないことでさえ

「自分のせいで(自分のために)」あるのではないか、

いやきっとそうだと考えるようになります。

 

自己愛性人格障害者や、精神病を患う人などは

こういう部分があります。

 

なぜこういうことが起きるかというと、

まず攻撃されることへの過剰な不安によるものです。

攻撃されることに対して耐性がない、あるいは

普段から誰かから攻撃されていて、ストレスが一時的に高まっている。

もともとの心の弱さを持ち合わせていて、

「自分は攻撃を受けていないか不安になる」と

防衛線をはらなくてはいけない。

そうなると、いつでもどこでも「これって攻撃じゃないか?」という

アンテナを張り巡らせなくてはならなくて、

他人のささいな言動がいちいち引っかかるようになってしまいます。

 

そして人は自分の心理を投影してしまうもので、

自分だったらそうする、と感じていることは

「他人もきっとそうだ」と考えてしまいます。

打算的な人はすべての人が打算的に見えてしまう仕組みに

なっているのです。

 

 

 

 

 

自意識過剰な人というのは、

間違いなく生きづらい状態にあります。

自分がやりたいことをやれないから主体的に

生きることができず、

自分が信じたいことを信じられませんから、安心感も

いつまで経っても得られません。

 

自意識過剰な人は、なぜ自分が生きづらいのかを

なかなか理解できません。

なぜなら自意識過剰な状態になっていることが

当然で、それ以外の世界を知らないからです。

自分自身を投影するのですから、

自分が自分に集中しすぎればしすぎるほど、

騙されたくないと考えていればいるほど、

他人は勝手にどんどん悪者になっていきます。

 

「この人は自分を騙そうとしているのではないか?」

という前提で話をし始めたり態度を決定したりしますから、

そういう態度をとることで相手もまた

不信がったり、自意識過剰な人に対して失礼だと感じたり

違和感を覚えたりします。

 

ただ目が合っただけで

ただ笑いかけてくれただけで「自分に対して惚れているのでは?」

と考えることもさらに自意識過剰さを際立出せる

事象です。

 

そして自意識過剰さに対して生きづらさを感じる期間が

長いと、どんどん人の目を気にすることが億劫になってきて

そもそも人に近づこうとしない、

近づいてくる人を遠ざける、

というような対応をし始めます。

人づきあいが嫌だとか孤独が好きなのでなく、

人と近づきたいのに自分のプライドが邪魔をして

孤立してしまうのですが、

「孤独が好きなだけ」と自分の弱さを

否定してしまうこともあります。

 

孤独が好きな人は一人でいても何とも思わないのですが、

孤独が嫌なのに疑心暗鬼になり生きづらいという人は

人と接するのも嫌だけど孤独も嫌、

けれど人に近づけないという悪循環に陥ってしまいます。

 

対人関係面でも失敗できない(失敗すると評価が下がる、

嫌われる)と考え、

完璧に、ミスしないように、変だと思われないように、

常識から外れないように・・・と

考えてしまいます。

 

そして社会不安障害へと発展していく可能性が

あるのです。

 

他人が自分のことをどう見るか?ということで頭が

いっぱいになってしまい、自分がどうありたいか?という思考は

そっちのけになってしまいます。