不倫が燃え上がる仕組み

罪悪感が全くない人、というのは

普通の人にしてみたら想像し難いものです。

 

なぜなら、ほんの些細なことから

良心の呵責を感じる人もいれば、

悪事を働かせる人でも罪悪感を持ちながら

やってしまうこともあります。

 

やることなすことすべて親の賛同を得られず、

「いいや!これは自分の人生なのだから、好きなように

やっていいんだ!」と反抗する意味で行動しながら、

それでも常に罪悪感からは逃れられない・・・

という人もいるでしょう。

 

罪悪感とはそういう身近なものですから、

罪悪感を持たずに生きていくということが

想像できないのは当然のことです。

 

罪悪感はブレーキの一種でもあります。

誰かに対して怒りをぶつけたとき、

罪悪感がそれ以上相手を追い詰めないように

制御の役割を果たします。

自己愛性人格障害者が罪悪感を感じず、

ブレーキがかからないためにいつまでも

ターゲットを追い詰めてしまう、

ということは自己愛性人格障害者のターゲットになった

人やこのサイトを良く見ている人であれば

よくわかると思います。

 

ところで、「罪悪感を感じない」というのは、

「罪悪感を感じることができない」ということと同義です。

そして、感じることができないのは、

罪悪感を感じてしまうとモラハラのシステム自体が

崩壊してしまうのです。

モラハラというのは、自分が傷を少しでも負うと

自分自身がたちまち壊れてしまうほどの

弱さをはらんでいるため、

それを予防するためのものです。

最強の鎧ともいえるでしょう。

 

ですから、罪悪感を感じること自体を

モラハラのシステムが阻止します。

 

ですから罪悪感がない=罪悪感を感じることができない、

ということになるのです。

最初からないのではありません。

つまり麻痺させている、深層心理に押し込む、

という言い方が適切でしょう。

 

これでもなかなかピンと来ない人もいるとは

思うのですが、一般人でも罪悪感を感じないですむ

一番わかりやすい例でいうと

「不倫」です。

 

不倫、は道徳に反するものです。

倫理の倫に“不”がつくわけです。

倫理を守らない、人が守るべき道を守らない、

不倫という言葉はそれ自体が「人として道理に外れている」

という意味を指します、なかなか辛辣なものですね。

 

不倫というものは、

それ自体が自分、あるいは他者の家族のそれまでの道のりや

絆、社会的地位を全部崩壊させる危険性を

含んでいます。

 

それなのに、そういうリスクを冒してまで・・・・

そういうリスクを相手に負わせてまで、

「愛しています」とお互いに体の関係を持ったり

想いあったりするわけです。

 

果たして、愛しすぎてそういう状態になっているのでしょうか?

というと、そうでもありません。

愛しすぎてというよりは、自分が持つ「愛される」という

可能性を捨てきれないから不倫をすると

言ったほうがいいでしょう。

 

不倫する人というのは、「罪悪感」というものを

強く持つ場合があります。

しかしそれは、罪悪感というよりは免罪符の意味合いが

強いでしょう。

本当に罪悪感なんか感じていたらたちまち不倫なんてものは

できなくなります。

そこで、自己正当化する理由がたくさん必要になるのです。

だって、罪悪感を持ってしまうと、せっかくある目の前の

愛を獲得できなくなります。

なので、その罪悪感を麻痺させなくてはなりません。

愛がほしい!と思っている人、渇望している人ほど

さっさと罪悪感を麻痺させて深層心理に押し込みます。

 

そして不倫というものは、このような自己正当化を

説明するのにうってつけの

状態ともいえます。

愛がほしいからと道徳をそっちのけで行動する人は

この世にゴマンといるからです。

 

「相手の人には本当に申し訳なく思っている」・・・

ということを強く感じていたとしても、

それは「これだけ罪悪感を感じているんだからいいでしょ」

ということでもあります。

何度も言いますが、罪悪感を感じていたらそもそも

不倫なんてものはできないわけです。

「罪悪感を感じたけど、仕方がなかった」というのは

「不倫だけど想いあっているから仕方がないと感じていたいから、

罪悪感を強く感じることで罪を軽くしたい」

ということと同じです。

 

他の「適当に遊んでいる不倫男(女)とは違う。

こっちは真剣なんだから!本当に愛しているの!」

と強く思うのも、

「真剣さがあれば、罪ではない」

「遊びで人の家庭を壊すのは罪。でも真剣だから、

どうしようもない」

という免罪符が欲しいからです。

深層心理で罪の意識を持っていればいるほど、

その罪の意識を吹っ飛ばそうとする

自己正当化の仕組みがどんどん強くなっていきます。

 

不倫が燃え上がるということはそういうことです。

リスクをはらんだ恋愛が激情に変わるのも

そういう仕組みです。

恋愛+自己正当化による感情が合わさると

最強の激情の恋愛が出来上がります。

 

「こんなに人を好きになったことは未だかつてなかった!」

それはそうです。ただの恋愛ではなく、

「これだけ好きなんだからいいでしょ!」という正当化も合わさると

とんでもないエネルギーになりますから。

 

「ああ、奥さんがあなたのお世話をしてくれないから

彼がこっちに来たんだから。しょうがないじゃない!」

「彼女は愛していると言ってくれた。

君は彼女の愛を獲得する義務を怠ったんだから

しょうがないじゃないか」

というのも、不倫を棚に上げて相手の責任にしようとする

自己正当化です。

不倫は重いものだけど、

どうにかしてそれを正当化できないか?

ということを常に不倫している人間は考えるものです。

 

このように、罪悪感を感じていると

自分の欲求が果たせないとき、

人間というものはいとも簡単に

罪悪感を封じ込める工夫をするものなのです。