自己愛は不健全なものではない

自己愛というのは不健全なものではない、

ということは知っておく必要があります。

 

なぜか?というと、

自己愛性人格障害者の影響によって、

「自己愛」というものに対して

強烈な嫌悪感を抱く人が多いからです。

 

モラハラ=強烈に自己愛的になってしまう、

ということは間違いないんですが、

だからといって世間一般の人間が

全く自己愛と無関係に生きていけるかといえば

そうでもありません。

 

むしろ、自己愛というのは

誰にでもあるし、

自己愛的に振舞うことも

誰にだってあるわけです。

 

 

ただ被害者やターゲットが

自己愛という言葉に対して拒否的になるのも

それはそれで生理的な反応だったり

仕方のないことだとは思うのですが

(人はトラウマになるくらい嫌な事が起こると、

それを避けようと回避行動が目立ったり

拒否的反応が増えるのは仕方のないことですから)。

 

ただ、自己愛と人というのは

切っても切り離せない関係にあります。

 

「いいえ、自分は自己愛的になんか

振舞ったことありません!」

というのはさすがに自分を振り返りたくない

気持ちが働きすぎていて、

モラハラに対してトラウマを抱えすぎていて

被害者精神が強くなりすぎているといえます。

 

自己愛というのは人が発達していく段階で

必ず踏む過程です。

自分の誇大性が強くなり自己顕示的な言動が

非常に多くなったり、

自分の現状とはそぐわないような大きな夢や

野望を抱いてそれが現実的に叶えられると

妄信していたり。

 

自分がなんでもできると思っていたり、

特別な存在のように感じていたり、

自分は感謝されるべきであり自分のために

誰もが動かなくてはイライラするようになったり。

 

文字面だけ見ていると不健全な状態のような

気がしてきますが、

それは自我を発達させるために、子供が自分を

親とは別の存在していきていくために、

自分を再構築するために必要不可欠な作業でもあります。

 

みっともないような状態だとしても、

それは自分が自分として生きていくために

必要な精神状態ともいえます。

「この自分こそが!」という考えは何も、間違ってはいないのです。

ですからこういう状態自体を不健全であると決め込むのは

危険でもあります。

なぜなら、モラハラ加害者というのはこういう、

自分の子供が起こす「反抗期」のような状態を

不健全であり自分へ逆らおうとしている無法者のやることだと、

その発達を阻害しようとします。

 

そうやって自分への挑戦をくじかれた子供というのは、

間違いなく親と分離することができず、

自我というものを持つ機会を失ってしまうのです。

 

それが、本当の意味での「不健全な自己愛」を

生み出すことになります。

 

ですから発達過程での自己愛へのこだわりを

なんとかしてつぶそうとすることや、

自分の自己愛的側面を否定するというのは

逆効果なのだと知っておいたほうが良いでしょう。

 

自己愛を理解して、

受け入れて、

うまく付き合っていくことのほうがよほど

大事だということです。

 

 

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