自己愛が強い、とはどういうことなのか

「自己愛が強い人」というような言い方をする場合が

あります。

自己愛というのは本来、人間が生きていくのに

必要なものであり、

健全な自己愛というものは誰もがみな抱えているものです。

そして、自己愛という過程を踏んで、

他者愛に移行していきます。

自己愛をすっ飛ばして、他者愛に移行するなんてことは

ありえません。

ですから、精神発達の過程で必ず自己愛というものは

満たしておかなくてはならないものです。

 

これらが満たされない場合に、

「自己愛が強い」状態にならざるを得ないのです。

 

自分を愛せるかどうか?というのは

人類みなが抱える人生の課題でもあり、

同時に人生の危機でもあるのです。

 

自分こそが何かを成し遂げられる存在なのであり、

そして自分こそが唯一無二の存在なのであり、

誰しも自分をコントロールなどできやしない。

自分だけが、何かを成し遂げる資格を持っている、

特別な存在なのだ。

という過程は、誰しもが踏むということでもあります。

 

その考え自体が特別なものというわけではないのです。

ところが、「自己愛が強い」状態になると、

人はその段階から次のステップへと移行できなくなります。

なぜ自己愛が強くなるのか?というところに起因するからです。

 

自己愛が強いのではなく、自己愛に固執しなくてはならない。

そうしなくては、生きている価値がないように感じる。

そのことこそが、自己愛を強くする一つの原因になるのです。

誰も認めてくれないから、自分で自分を認めるしかない。

しかも、誇大な人間でないとなんの意味もないのであろうと

いう思い込みから、誇大な自分を演じようとします。

 

自己愛が強いということは、それだけ

自己愛へ拘らないとその人が生きていけないという

証になります。