プライドが高い人は、自信がない

プライドが高い人というのは、

自分に自信があるというような態度をとりがちですが、

逆に自分に自信がない人です。

 

自信がないからこそプライドが高くなります。

ない自信を、プライドという根拠のない高慢さで

補っている、という表現だとわかりやすくなるでしょうか。

 

自信をつけるには、行動したり自分の考え方を

根本的に変える、その人自身が変わるしか方法はありません。

ところが、手っ取り早く「自信っぽいもの」それを獲得する方法があります。

それは、自分の能力のなさを「いや、能力がないんじゃなくて、

能力を出せない、本領発揮できないこういう理由があるから」と

正当化することです。

 

そうすると、自分は能力があるんだけれども、

あるいは正しい働きをしているのだけれども、

能力がないという風に見なされたり

間違っているかのように判断されるだけ。

つまり、そう判断している周りのほうが間違っているんだよ、

という思い込みができます。

 

自信がなければないほど、

その心の均衡を保つためにより、プライドというのは

高くなります。

とんでもなくプライドが高い人の背景には、強い劣等感というものが

常に存在していると考えたほうがいいでしょう。

 

そして、プライドが高い人にそれを突き付けても

なんの得もしません。

劣等感を覆い隠すために、劣等感に対して羞恥心を抱いているので

必死にそれを隠そうとします。

相手の妄言だという場合もあるでしょう。

プライドが高い人ほど、自分の中の自信のなさや劣等感を

認めようとはしません。

 

その劣等感に気付くと、本当の努力というものを

しなくてはならなくなります。

自信がないまま生きていくと辛いので、自信がない人というのは

自信をつけるためにいろいろと試行錯誤しないと

先に進んでいかないのですが、

 

自信のない人というのはそもそも自己肯定感が低い人でもあるので、

「そのままの自分でもいい」という感覚がそもそもないのです。

ずっと変わり続けなくてはならない、

このままの自分では生きていけない、と考えます。

ところがそういう人に限って、成長しませんし

変わることができませんから、

手っ取り早く「プライド」を以て「自己正当化」することで

簡易的な自信をつけるのです。

 

しかし、それは本当に自信がついているわけでもないので、

当然ですがプライドの高い人はずっと

プライドが高いままで生きていかなくてはなりません。

自分は正しいはずなのに、なぜこんなに苦しいのか?と

感じる人というのは、自分の本音がプライドで

覆い隠されてしまっている

ということもあり得るでしょう。