被害者は、アドラー心理学をかじったほうがいい

アドラー心理学というのは、

被害者意識を持つ人にとっての

核心をつく部分がたくさん含まれています。

 

もちろん、自己愛性人格障害者が一番

身に染みたほうがいいのですが、

アドラー心理学の本を渡したところで

モラハラ本を渡す以上に無意味になるでしょう。

 

「モラハラに遭うつもりで結婚した」わけではないのに、

結果モラハラに耐えながらも結婚生活を続けるのは何か?

そこまでして離婚が怖いと思うのはなぜか?

考えるきっかけにもなります。

 

たとえば、すでに離婚歴がありバツイチの人がいるとします。

そうやって次に結婚した人がモラ夫・モラ妻であり、

また離婚に踏み切るのは世間体が怖い、という人もいるでしょう。

けれども世の中には、バツイチになったあとに結婚した人が

モラ夫でなくても離婚してバツ2を選択する人もいるのです。

 

モラハラを受けながらも、交際しながら

結婚まで至る人もいます。

モラハラというのはひどい暴言もありますから、

一度や二度、それ以上にひどい人格否定の言葉を

貰っているはずです。

それでもその相手との結婚を選ぶ。

そういう場合に、「この人は自分への愛を与えてくれるから」

「この人のことを愛しているから」

というだけでは説明のつかない理由がそこにはある

ということになります。

 

「なぜ、その相手でなくてはならなかったのか?」

ということに、

「その相手が何よりも魅力的な人でこの人しかいないと

思ったから」

というには、モラハラというのはあまりにも強烈で

本来は避けるであろう対象です。

 

その原因というのは深いところにあるでしょうが、

その原因よりも、結婚することで自分は何を得ようとしているのか?

ということに気付く、自己理解を深めるきっかけにもなります。

 

そして、アドラー心理学では他人の問題に介入しない、

そして自分の問題に誰も介入させないことが原則としています。

これこそが、自己愛性人格障害者との生活では絶対得られないもの

でもあります。

 

しかし、自己愛性人格障害者も被害者も、

むしろ他人の問題に介入したがる、そして自分の問題に

相手をやすやすと入り込ませます。

 

被害者は、「なんでもかんでも自分で問題を片付けようとする」

という性質はありますが、それは自己愛性人格障害者の

問題を片付けようとするという性質も同じであり、

「あなたはこういうところがダメなんだよ」という

自己愛性人格障害者の言葉を真にうけ、

彼らに自分への介入を許してしまっています。

 

他人と自分の曖昧さ、というのは

多少なりとも被害者にもあるからです。

被害者は、被害に遭っている間・・・被害に遭わなくなってからも

そういう思考をリセットする必要があります。

そこで役に立つのがアドラー心理学なのです。

 

そしてアドラー心理学を「かじったほうが」いいという意味は、

アドラー心理学というのは

他人の問題を自分の問題だと考える人にとってはあまりにも

殺伐としていて、あっさりとしているような印象を受けます。

 

まずはアドラー心理学の取り入れられる部分だけ、

いいとこどりをするのが一番でしょう。

 

 

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