自己愛性人格障害者と離れられないのは当たり前
自己愛性障害者と共存というのは非常に難しいものですが、
それでもある程度共存してしまえるのが
被害者の特徴です。
被害者というのはある程度のことなら
許せてしまいます。
何なら、最初は許せない!と思っていたことでも
どんどん当たり前のこととして
受け入れてしまうようになります。
被害者は過剰適応ができるからこそ
自己愛性人格障害者のターゲットでいられるのです。
そして、ターゲットとして選ばれたからこそ
被害者はそれを「愛」だと信じ、
過剰適応を続けようとします。
被害者にとって、それほど
結婚生活を貫くことや維持させること、
愛を獲得し続けることというのは
人生で最も重要なことなのです。
それは感覚的なものなので、
被害者がいくら理性的な部分で
「逃げたい」「罵倒がつらい」
と思っていたとしても、
その感覚とはうらはらに
愛してほしい、たとえこれがモラハラだとしても
自分に執着してくれているということは
強い関心をもっている証拠なのだ、
自分は必要とされているのだ、
という感情のほうが強く、
離れること=その愛を自ら放棄すること、
という恐怖感が植え付けられます。
そういう被害者に対して、
「早く逃げればいいのに」という言葉は
何も意味を成しません。
それを誰よりも理解しているのは
被害者そのもので、
それが分かっているのに感覚的に
逃げるほうがもっと辛く逃げるという選択肢が
とれないからこそ余計に辛いのです。
むしろ、それこそが被害者である証です。
こういう思考を返事を経ていない
モラハラ被害者というのはほとんどいないでしょう。