自己愛性人格障害者のイジメの特徴

自己愛性人格障害者は

いじめの天才と言ってもおかしくは

ありません。

 

なぜか?

いじめているという立場を避けながら、

徹底的にいじめ抜くことができるからです。

そして、どちらかというと

オープンな場でいじめるよりも、

閉鎖的な場・・・つまり

限られた場面でいじめることに

非常に長けています。

おおっぴらにいじめるよりも

決まった空間の中でいじめるのです。

 

そしてそのいじめは

自己愛性人格障害者自身、

「指導」であると考えています。

そして「愛しているから」とか

「お前のことを思って」

という言葉に置き換えられるでしょう。

自己愛性人格障害者にとっては

本当にそう思っています。

自己愛性人格障害者は、

三者からみてどうみても

「いじめているだけ」という格好に

捉えられるのを非常に嫌います。

 

ですから自分が優位に立っても、

優位に立っている自分が

譲歩して指導してやっているとか、

愛しているから、協力していきたいからこそ

こうやって指摘するのだ・・・といいながら、

徹底的に苛め抜きます。

悪意はないですよ、と言ってしまえば

なかなか回りも止められませんし、

とにかくその自己愛性人格障害者も

被害者の上司であったり同僚であったり

パートナーだったりしますから、

「この人たちはこの人たちで

事情があるのだろう」と

被害者と自己愛性人格障害者の間に

割って入ろうとはしません。

 

そこが自己愛性人格障害者と被害者の間に

起こる支配関係の厄介なところで、

自己愛性人格障害者自身も

指導者としてあるべき信念を日ごろから

唱えていたり

愛情ゆえに・・・ということを

訴えていたりすると、

自己愛性人格障害者がたとえ辛らつな言葉を

被害者に投げかけていたとしても

「この人なりの愛情表現なのだな」と

受け取られてしまい、

被害者が被害者に見えなくなってしまうのです。

 

自己愛性人格障害者も加害者には

見えにくくなってしまいます。

愛しているよ、とか

本当はお前のためを考えているよ、といいながら

単なる支配したい欲を抑えられず

いじめに走るだけなのです。

そしてそれは1-1の場面だったり、

あるいは会社であれば同じチームの

特定のメンバーが集まるいつもの

場面であったり、

家の中であればこれも特定のメンバーが

あつまる食事会で・・・などです。

 

その決まったメンバーとの話の中で、

わざと被害者を貶めるような

発言をしたり、ミスをあおったりします。

そして集団の中で被害者の恥を見せ付ける、

周りにも教え込むことで、

いかに自分が優位に立っていて

普段から被害者に困らされているか、

というのを知らしめる目的があるのです。