共感しない親

こどもには、親の共感的態度が必要です。

 

しかし、世の中のすべての親が

こどもに対して共感の感情を持てるわけでは

ありません。

共感するということは、

こどもは自分とは別個の存在であるという

認識、そしてこどもは共感してほしいと思っているだろうという予測する心、配慮する心、

それがこどもにとって癒しになるであろうという認識が必要だからです。

 

しかしそこには、

同時に「親が一個の存在として

自立していること」が必要であり、

また共感的存在としてこどもに接することのできる精神的余裕も要素として重要です。

いくら自立している親だとしても、

タイミングや状況が悪ければ

共感的存在としてこどもに接する余裕がなく、

非共感的、突き放しのような形での

監護者の役割しか果たせなくなります。

 

共感、というのは

「自分は一人ではない」「自分が感じている

こと悲しみや喜びは、自分一人が感じていることではない」

という意識を産み出します。

その意識こそが、個人の成長やその後の

精神的安定に大きく作用するのです。

また、共感されて育ってきたこどもは、

他人に対する共感的態度も育っていきます。

 

しかし共感されないと、

いつまでも「共感されたい側」

「分かってほしい側」にしか回ることができません。

与える側ではなく、与えられるということを

欲し続ける必要がでてくるのです。