責任感がない人

責任感がないひとというのは、実際にいます。

 

しかし正確にいえば、

責任感がないというよりは責任が持てない、

責任をとる能力もなければ責任感を感じる能力もない

ということになります。

 

つまり、自分に与えられた役割や仕事というものを

自覚しにくいということです。

何を遂行しなくてはならないか、という規制が

自分の中にできずに、自由、無秩序であるという

意味でもあります。

 

ところで、責任感がない人でも

責任が重いような仕事をこなしている場合もあります。

しかしそれはむしろ、責任感を感じとる能力が

ないからこそその仕事がこなせるという場合もあるのです。

その責任が果たせなかったときのことなど考えも

していない、むしろ責任が果たせないことを

さも他人の問題のようにすり替える天才的な能力がある。

そういう人ほど、一般的に言われる「重たい仕事」を

難なくこなせるということもあります。

 

そういう人は、責任をとれないことを

仕事の難解さのせい、関わっている他人の責任にすることも

難なく可能です。

そして、それを「確かにその通りだ」と思わせるような

理屈をぺらぺらと述べることも非常に得意です。

その頑固さゆえに、「この人に責任能力を問うても

しょうがない」と思わせることも得意です。

 

そして、責任感がないのに責任感が強いと思わせることも

得意中の得意です。

 

責任というのは第三者から見て、誰かがとらなくてはならない

ものでもあります。

仕事が一つあって、誰かがその業務を遂行しているのに、

その責任は誰もとらないなんてことはまずありません。

当然の如くその業務を担当している人間が

責任も同時に負うことになるでしょう。

 

ところが仕事一つにしても、

その仕事を「作り出した者」、「遂行者に与えた者」、その仕事を

実際に「遂行する者」に分けられたりもします。

 

たとえば責任をとれない人間が「作り出した者」である場合は、

その仕事が失敗したときは遂行する技術のない人間のせいに

されるでしょう。

 

責任をとれない人間が「仕事を遂行した者」である場合は、

その仕事を失敗したとき、あるいは大した成果が得られない場合は

「訳のわからない仕事を作り出した者」、

「こんな仕事を押し付けてきた者」に対して

適材適所というものがわかってないのではないか、と

責め立てるでしょう(実際に相手に直接言うかどうかは

別の話ですが、直接的に言えない場合は部下に八つ当たりしたり

パートナーに愚痴を言いまくる原因になるでしょう)。

 

ところで、責任感がないというのは

実際のところ、なんでもかんでも責任を強く感じすぎてしまうから

それを麻痺させるために責任転嫁したりそもそもそんな責任など

生じていない、というようなふるまいをする場合があります。

 

そのエネルギーが強いほど、そのエネルギーを自分に向けることの

ないよう他人に向けたりします。

その場合はやたらと他者批判に向けられ、辛辣な表現を繰り返す

ことになるでしょう。

あの人の責任だ、こういう環境の責任だという機会が多ければ多いほど、

その人は責任を回避する傾向が強いということになります。

 

ですから

「責任感がなさすぎるから、なんとしてでも責任感を持つような

人間にさせないと」という行為は無意味であるというより

逆に責任転嫁を助長させる原因にもなるということです。

ストレス耐性が低いほど、責任転嫁の頻度も多くなり、

負える責任というのもなくなってゆきます。