アイデンティティの崩壊とは

アイデンティティの崩壊というのは

「アイデンティティの拡散」、「同一性拡散」

という言葉で表現されます。

これは、自我統一性が損なわれている状態、

アイデンティティの統一が

なされなかった結果、その反対の「まとまっていない」

「統合されていない」という同一性の拡散が起きている

状況です。

 

 

アイデンティティというのは、

自分に対する「自分が何者であるのか」という

問いかけと同時に

「自分とは、自分そのものである」という自我の統一感

も含めていいます。

 

この自分は何者であるのか?という問いかけをしながら

模索していくのを

「アイデンティティの確立」という過程として指します。

 

これらの模索というのは

他人との関わりなどを経て行われるものですが、

 

1.に両親からの自立、分離。

安定して、安心して両親から離れることができること。

もちろん、親に対する基礎的な信頼や絶対的な安心感がなくては

難しいものです。

 

2.に性役割の同一性。

自分の体に「性」差として起きる変化を受け止め、

性役割「男として」「女として」という立場を

担うことを意識することです。

 

3.に道徳性の確立。

社会の秩序と自分の中の秩序、希望とのすり合わせを

行いながら社会とうまく付き合っていく自分自身というものを

作り上げていきます。

 

4.に職業選択。

自分の適性や能力、希望、などを加味して

職業選択をします。

(なんの仕事をしても人格は同じなのでは?ということでもありません、

人間の作業的活動として大きな役割を果たすのは

幼少期に“遊び”、青年期からは“仕事”、老年期からは“余暇活動”となります

から、人格形成に職業選択というのは必要なものです)

 

そして5.にアイデンティティの確立・・・ということになります。

 

アイデンティティの確立というのは、

上記のことに加え、自分の様々な側面・・・・年齢、

自分の置かれているだけで立場、環境、自分への疑問、

自分のやりたいこと、なしたいこと、趣味、その他もろもろ

自分を形成しているものを統合し、

アイデンティティ(自我同一性)を確立していく、

ということです。

 

 

アイデンティティの崩壊は、

これらの試行錯誤を放棄するというより、

試行錯誤し続けても自我が統一されない、

つまり自分自身というものが何者なのか分からず、

自分を構成する要素にしか着目できない状態になります。

 

上記の要素を見ればなんとなくお気づきかもしれませんが、

自己愛性人格障害者にも大きくかかわるところです。

 

1.の両親からの分離という時点で

躓いている人間も多くいます。

上記の段階を踏みながら、試行錯誤しながら

自分というものを確立していく。

というのは、「自分は他人ではなく、自分自身である」

という前提が必要になりますが、

 

親からの分離が完了していないとそもそも

そういう前提が成り立たなくなってしまいます。

 

そして、アイデンティティが確立していない人・・・

「自分がない」「自分が何者かわからない」

「自分はちっぽけでくだらない」という

劣等感を抱えている人が、

どういう「自分は自分だ」という優越性をとるかというと、

 

「規律を正しく守る、正義感あふれる人間」

「立派な職業についた自分は価値のある存在」という、

一部分だけを切り取ってアイデンティティが確立されている、

というような姿勢をとります。

 

職業は自分を構成する一部でしかありませんから、

立派な職業といったってその職業対する世間の認識は

様々ですし、それ自体がアイデンティティにすり替わることは

ありません。

 

道徳心も道徳心で、

規律や正義感というものは必要ですが、

それが強すぎるとただの攻撃になってしまいますし

それそのものが人格に置き換えられるというわけでもありません。

 

というわけでアイデンティティの崩壊というのは

適切な言い方ではありませんが、

例えば被害者が自分の被害者体質に気が付いたとか

自己愛性人格障害者が自分の異常心理に気が付いたとか、

そういうことで自分に対するショックを受ける状態というのは

ある意味、「アイデンティティの統一の失敗に

気が付いた、仮初のアイデンティティの崩壊」

とはいえるのではないのでしょうか。