自己愛性人格障害者は、苦しいのか?

自己愛性人格障害者というのは、

生きているだけで苦しいのか?

というところですが、

半分当たっていて、

半分はずれています。

 

自己愛性人格障害者はストレスから

逃れて生きていかなくてはならない

障害ですから、

ありとあらゆる責任、ストレス、

そういうものからはうまく逃げ、

そういうものを背負った場合の

苦しさというものは分かりません。

 

悲しみも分かりません。

苦しい悲しいアピールはすごいですが、

それでも空虚なものです。

 

そういうはっきりとした感情はありません。

そのかわり、怒りというものは

瞬間的にはとんでもなく感じるようになるでしょう。

 

苦しみ、ストレス、悲しみ、

そういう被害的なものから、

攻撃的な要素に変わっていくために

悲しいと思っている余裕もありません。

 

自己愛性人格障害者の心というものは

それらを抱える耐性がもうないからですね。

 

ですから、

苦しいわけではありません。

 

その代わり、得体の知れない生きづらさというものは

抱えています。

しかし自己愛性人格障害者というのは

それがなぜかを一生知ることもないまま

死んでいくことも多いです。

 

自己愛性人格障害者というのは劣等感が始まりですから、

その劣等感から目をそらす生き方を

ずーっと繰り返していかなくてはならないからですね。

ストレスや、悲しみや苦しみ、

そういうものからは逃れられますが、

その人生からは逃れられません。

一生、それを続けていかなくては

ならないのです。

 

ですから劣等感というものは

消せているようでいて消せないのです。

劣等感があるからこそ、

モラルハラスメントでどうにかして

自分に降りかかる現実を

誰かに押し付けていかなくては

なりませんから。

 

それだけの人生です。

ですが、それだけの人生だということに

気づくことはありません。

自己愛性人格障害者はなぜ、自分が

すばらしく能力があり愛にあふれている

人間であるはずなのに、

 

「素朴な幸せ」というものを感じることが出来ないのか、

なぜ充実感がないのか、

なぜ達成感がないのか、

なぜ満たされないのか、

ということを知ることは一生なく死んでいくのです。